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きょうだい児が妹を施設入所させるまで

私は今、2つのブログを運営している。

普通の雑記ブログと、「きょうだい児が大人になり、妹を施設に入れるべく奮闘した1年間の記録」を書いたブログだ。

私はきょうだい児です。
ご存知ない方に説明すると、「障害がある兄弟(知的)と育ってきた人」

綺麗ごとを書くつもりはないので「あの人たち、全然天使じゃないよ」とだけ、ね。



親なき後問題に立ち向かう姉


ざっくりと、これまでの流れを説明しよう。

昨年春から1年かけて「診断、手帳取得、施設探し、親を説得、今年3月に施設入所」を、私一人でやりきったのだ。

偉い。本当に良くやったと思っている。誰も褒めてくれないから、盛大に自分を褒めるよ。


妹を連れ出すためにお菓子を与える


2023年。私は会社閉鎖を宣言された。
残務処理に追われながら、妹に「新しいおうちに行くための準備だよ」と、上手いこと言いながら病院やら何やら連れて歩いた。

妹の中の人は7歳らしいので、「お菓子買ってあげるよ」と、誘拐犯みたいな言葉で誘い出しました。



高齢の父に、妹の世話は難しくなった


妹は父と2人暮らしでした。
高齢により、妹をフォローすることがだんだんと難しくなってきた父。

妹を手放したくない父に、私は必死に説得を続けた。
「あの子の終の棲家を探そう」
そう言う私に、父は「ここ(実家)に置いておけばいい。大丈夫だ、俺がなんとかする」と…。

自分が娘の面倒を見る、それが親の責任だ。
そんな父の気持ち、ちゃんと分かっているよ。だから引き離すのは本当に辛かった。

だけど、やるしかない。
結果的に「何とかなる」のではなく、「(私が)何とかする」と、周りの人にそう思われているから。

ご近所や親戚から、「あの子はtamayuraちゃんが面倒見るのよね」という圧が半端なかった。



きょうだい児にも人生があるんだ


なんて感じの話を含めつつ。
妹のとんでもないエピソードなども交えつつ
「親なき後、きょうだい児が背負わずに済む方法」のブログを用意してある。
まだ10記事くらいしか書いてないけれど…。

きっと知りたい人は多いはず。
「親がいなくなったら、やっぱり自分が面倒みるしかないの?」って、悩んでいるもの。
Yahoo!で「きょうだい児」って入力すると、本音が見えてしまう。

「あなたには迷惑をかけないよ」と、全て手配してくれる親ばかりじゃない。
「兄弟同士で助け合うはずだ」と信じきっている親の、なんと多いことか…。

「助け合う」のではない。
「兄弟の犠牲の元、助けろ」と言っているだけなのに。



「兄弟から学ぶことは多い」それ、本人がそう言ったのかな?


少なくとも、私はそう思わなかった。

妹を見捨てるつもりは無いんだよ。
ただ、全てを私に背負わせないでくれ。
きょうだい児にだって、自由に生きる権利がある。

適切な距離で、何の金銭的肉体的負担もなく、遠くから見守るのがベスト。私はそう思っている。



伝えたいことがあるんだ


今、大人の知的障がいを持つ人の中には
私の妹のように、手帳無しで健常者として生きてきた人が存在する。

そういう人たち…もし、親に何かあったとしたら?
実家に放置された兄弟はどうなるのか。
そもそもまず、数日でも一人で生活できるのか?
拘り爆発して、ご近所に迷惑をかける可能性はない?(妹はあるなぁ)

だから私は対策を取ったのだ。
施設入所の暗黙タイムリミットもあったし…。

そして何より、「今だ!」と思うタイミングが確かにあったんだ。




そねか人たちを施設に入れるためには、まず手帳取得から始まるわけで。これが子供ではなく、大人だと諸々の問題が生じます。
うちは「妹を育てた母がこの世にいない」ので、かなり苦戦しました。


その経緯と流れ、細かな手段やポイント。
そして、一般的に難しいと言われる、知的境界がギリのラインでも「障害年金が通った理由とコツ」など。
ブログとnoteの記事でリンクさせる予定です。

ライター業の、見通しが立ったら。(いつだろうね)



見通し立っていないけど、作ってみたよ


趣味の雑記ブログに、強引にお引っ越し。
良かったら読んでみてくださいね。


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