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樹木と共に失われていくもの
家の近所には、いつから立っていたのか分からない、大きくて立派なセンダンの樹がある。
成長速度の早い樹種なので、見た目ほど樹齢を重ねているわけでもないだろうけど、ここに道路ができる前から生えているのだろうとは予測できる。
地域の中ではこのセンダンが一番大きく、私は勝手に地域の守り神的な存在のように思い、親しみを持っていた。
夏の風に揺れる葉擦れの音がとても心地よく、また冬に出会う、夕日にくっきりと浮かび上がる泰然とした枝幹の姿がうっとりするほど美しかったし
通りすがりの住民たちが、センダンの下で憩い、手を触れたり抱きしめたりしている姿を眺めるのがとても好きだった。
そんなセンダンは、その大きさから道路を半分ほど塞いでおり、少し通りづらい状況になっていた。
まあ一応車も通れるし、何より交通量の少ない住宅街のことだから、ちょっとくらい不便でもそれほど気にならなかった。
だけど邪魔に思う人もいるらしく、センダンは市により伐採されることが決まってしまったようだ。
それを知った時の衝撃は大きく、とても大切なものを失ってしまう悲しみが込み上げてきたけれど、どうしていいのか分からないまま、センダンをただ見つめることしかできなかった。
数年前も、枝と重要な幹と根の部分を、とても惨いやり方で伐られたことがあった。
断面はあまりにも痛々しく、その時のセンダンの痛みや断末魔が辺り一面にべっとりと色濃く貼り付いたような、不気味なほどの静けさが漂うその場所を、しばらく通ることができなかった。
許しを乞うように、心の中で何度も何度も謝ることしかできなかった。
傷口から病害虫が侵入して枯れてしまうかもしれないと思いつつ、なんとか持ち堪えてくれて、やっと以前のように元気になってきたところだったのに。
樹木は、様々なものを繋いでくれている。
生態系はもちろん、過去や未来、人と人、思い出、その景色から育まれた精神や感性。
物理的にも精神的にも人を育み、いのちを繋いでくれている。
それが災害や病害虫ではなく、人の手で伐られてしまうことはとても悲しく思う。
大切な繋がりが一瞬にして消えてしまう。
その樹を大切に想う人たちの心も、拠り所を失う。
それは、切れてはいけない何かも失ってしまうような、取り返しのつかないことをしているような気がして、とても不安になってしまう。
自然は自分自身そのものだ。
自然を失うことは、自分の一部が切り取られることと同じで、だからこそ人は痛みを伴う。
邪魔だから、嫌いだからといって、共存せずに
そうやって切り捨てて、捨てて、どんどん自分を消していって
最後に残ったそれは、人の姿を保っているのだろうか。
そして奪われれば、当然奪い返す。
それが自然の摂理だ。
そうやって人と自然の奪い合いが
どんどん加速していく。
元々ひとつだったわたしたちは
どこまで離れていくのだろうか。
国東半島の先にある、私の先祖代々が住んできた小さな島。
祖父母や親戚が多く住む、その島の海が大好きだった。
子どもの足が付く浅瀬にも魚がいっぱいいる豊かな海が、船の座礁により重油が流れ、魚の姿が消え、次に訪れた時には不気味なほど静まり返っていた。
自然がどれだけ、人の街とは比べ物にならないほどの豊かな声で満ち溢れかえっているのかということ、そして年々、たくさんの声が消えていっていること
それを小学生の時に体感で知り、震撼した。
その焦燥感と消失感、何もできない小さな自分の無力感や絶望を、言葉にできなかった。
同時期に観たもののけ姫の映画が、どうしようもなく胸を掻き立てた。
なんとかしたくて農学部に進学して
環境問題のどうにもならない現状を知り、また無力感を味わった。
行政に就職して、どんなに多くの予算を使っても、掬えるものがほんの僅かであることに落ち込んだ。
起業して、人々が自分という自然を大切にするようにできたなら、何かが変わるのではないかとやってきた。
だけど結局また、何も変わっていないのかもしれない、、と久しぶりに自分の無力感を味わうことになった。
どうにかしたいと思うのも、きっとただの私のエゴでしかない。
だけど私は、どっちかが笑っているだけよりも
人も自然も心を通わせて、どちらも笑っている姿が
どちらの声も豊かに満ち溢れている世界が好きなんだ。
ただ純粋に、美しいと思う。
だから失くしたくない。消えないでほしい。
そう願ってしまう。
寂しい。
人も樹木も、どちらも愛しているから
奪わないでほしい、失くさないでほしい
ただ繋がり合っていたいだけなのに
子どもの頃からずっと願っているけど
消えゆく声を止める力が
私にはまだ、手に入らない。