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「おとな」になる

久しぶりのおひさま。温かさもあるからか、近くの公園は学校帰りの子どもたちでいっぱい。

きゃあきゃあ。わいわい。たのしそうな声が響いている。

学校終えて塾に行くまで、ちょっとだけね。と言われながら、大きなカバンをもったまま子どもたちが遊んでいる。

それを見て。ちょっとだけ、複雑な思いする。

まだ、もっと。遊びたいだろうな。でも、勉強もたのしいのかな。街くらしだと、中学校入試も考える年齢なんだな。自分はあの歳のころ、なにしてただろう。

勉強は好きだった。知らないことがわかるのは、ただ面白かった。たくさんのことがわかったら、「おとな」になれると思っていて。少しでも早く、おとなになりたかった。

おとなになって。みんなに愛され、頼りにされる。役立っている自分になりたかった。ずっと、足りないと思っていた。

でも、友達と遊ぶのもたのしかった。山あいの地区に住んでいたから、自転車に乗って。団地のある地区まで、友達に会いに出かけていた。隣の谷の友人とは、山滑りをして遊んだ。笑っている時間は、子どもでいても大丈夫な時間。誰にも邪魔されない、たのしい時間。

ぼんやり、小学生の頃を思い出したら。その風景がもやんと、あいまいになっていておかしかった。もう、思い出しづらいほど、時間がたったんだな。

小学生の頃。なりたかったおとなに、わたしはなれているだろうか。歳は、とっくにおとなになっているのに、いつまでも、どこか。足りない。

今を、たのしく生きている。でも、ときどき。小さかった頃に夢見た「おとな」にあこがれる。

まだ、もっとたくさん知りたくて。勉強を続ける。けれど、まだたくさん遊びたくて、はらはらする。いつまでたっても、どこか小学生の気分を残したまま、大人の形をしているわたし。

あの頃、あこがれた「おとな」も。きっと、内側には小学生を残したままだった。それがわかり始めたら、おとなになれているのかもしれない。

#足りない #それも自分 #あこがれ #笑い声

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