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3回ルールを振り切って。でも3回ルールに戻る。

「3回ルール」を、自分のなかで作っている。

同じ話を3回、別の人の口からそれぞれに聞いたなら、そのことにチャレンジすると決める、行動する。
同じ地名を3度聞いたら、その土地について調べる。気になったなら、その場所へ行ってみる。
似た話を3度聞かされたなら、自分のことを顧みる。そして、行動パターンを変えてみる。

そんな感じの「3回ルール」は、わたしにとって行動をうながすためのルールになっている。

けれど、行動を止める理由になる「3回ルール」もあるわけで……。noteがしばらく空いていたのも、その3回ルールをはじまりとした理由。

noteで書いていたものが、アプリの強制終了やwifiの不都合などの理由で消えた。書き直しても、なぜか消える。保存できない。下書きに、その痕跡すら残さず、書きかけのnoteが消えてしまった。

別の日に、別の内容でnoteを書こうとしたときも、同じ現象が起きる。下書きができない、noteが消える。

もう、noteに書かなくていいんじゃない?
それとも、もしかして。わたし、noteに嫌われている?

そして、それが3回続いた時、わたしのなかで「3回ルール」が発動。noteが3回消えるなら、わたしはnoteを書くのをやめる。

もうnoteには書かない。

今、思い返してみたら全く。意味不明の言いがかりに近い理由だけれど、その時はとても合理的な理由だと感じていた。

わたしは、拗ねたのだ。

書くことも許されないなら、読んでやるもんか。
(いや、だから。それは違う……と、今のわたしなら思う)

そこからぱたりとnoteを開かなくなった。noteを読むことからも、遠ざかった。

面白いほど、現実からずれた拗ね方をするときは、現実での体調や精神状態もよろしくない。noteを開かなくなった頃には、自分の「怒り」や「自分責め」を発動させる出来事が日常のなかで続き、体力も気力も消耗した。

体力も気力も消耗したくせに、noteの中に在る、いろいろな方の書いたものを読みたい気持ちは消えず。ときどき、ぽつぽつ、noteを読んでいた。それはまるで、息つぎをするみたい。荒れ狂う水面を避けるために水中の深くて暗い場所にもぐっていても、水面の光を見ることは辞められず。波の切れ間を見計らって、水面に浮かび上がり息つぎをするのに似ていた。

消耗しきった自分は、息つぎを繰り返して息を吹き返していく。身体や心の調子を整えるべく、整体やカウンセリングのケアを受けたりしながら、自分自身に戻っていく。

時間が過ぎ、不安定さは落ち着き、おだやかな波となった。ようやく自分自身に戻ってきた今。また、書きたくなってきた。読みたくなってきた。

書きたいな。読みたいな。
そう感じた時、ようやくnoteを書かないことにした3回ルールを振り切ったと思えた。

よかった。自分が戻ってきた。

それから、何度か。noteを開いて、noteを読む。

読むことはするのに、痕跡が残せない、スキを押せない。
こっそり、読む。

ときどき、読む。やっと、スキが押せる。
(スキを押すことに、ためらう時間は長いけれど)

そして、やっと。投稿するボタンを押してみる。新しくnoteを書こうとする。……でも、画面を閉じる。

1行書いてみる。でも、閉じる。
閉じるを3回繰り返したことに気づいて、やっと。今日、書いた。

……あら?
また「3回ルール」に戻ってきた。

今度は、「書く」の3回ルール発動。

どうやら、わたしは「3回ルール」をとてつもなく、愛しているようです。けれど、それを理由に行動できるならば、それもまたそれでいい。次は、続けることを習慣に取り戻そうか。


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