本能にあらがうヒトと、蚊。
この半月。(たぶん)いっぴきの蚊と一緒に過ごしている。
朝、顔を洗って鏡の中のわたしと目が合うと、ぷくんと目の際が虫刺されで腫れていたり。夜、キーボードを打っているそばで、ひじがかゆくなり、指でさわるとぽっこりと腫れていたりする。
そろそろ、秋。
蚊も、必死。寒くなり過ぎる前に卵を産まないといけない。
生物の行動原理は、単純だ。
食料を得るため、繁殖するために行動を起こす。
(と、生物学の授業で習った気がする)
卵を産むために、蚊のメスは血を吸いに来る。じぶんの身体より、だいぶん大きな生き物めがけて飛んでくる。もしかしたら、ぱちんと手で払われて、自分はつぶされるかもしれないのに……血を吸い卵を育てるために、ヒトに近づく。
繁殖しようという本能のまま(たぶん)、大きな生き物にむかってくる蚊。
本能を隠すことなく、言い訳することなく。
まっすぐに、血を吸いにやってくる。
それが、なんだか愛らしくて。しょうがないなと、今は血を吸われている。
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ヒトの本能は、何だろう。
生物であるからには、食料を得ること。繁殖すること。かな?
「食欲・性欲・睡眠欲」がヒトの三大欲求だというから、「食」と「繁殖」は間違いなさそう。
けれど、性欲を「繁殖」だけでは語れないのがヒトだ。精神の充足や自己承認、愛情確認、社会性の確認などにも使われる。だから、「繁殖」と「性欲」とで悩む。
「もっと生物的なヒトとしての本能から来ている部分を、自分自身にゆるせたら気持ちも楽になるのに」と、おはなしを聞きながら思うときがある。それでも、そう悩む様子はとてもヒトらしくて、また愛らしい。
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秋のはじまり、ヒガンバナがたくさん咲く頃になると、蚊さされによるアレルギー症状が出る。蚊に刺された跡が水膨れになり、腕や足に赤い斑点が残る時期になった。
生き物としての本能を愛してはいるけれど、そろそろ。蚊と共生できる時期が(わたし的に)終わる。蚊の本能とヒトの本能の戦い?!の季節が来る。
食べたい(血を吸いたい)蚊と、食べられたくない(刺されたくない)わたしの戦い。
お彼岸は、不殺生をとくにこころがける時期。
その時期が、もうすぐ終わる。
蚊とわたしの戦いも、もうすぐはじまる。
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タイトル上の写真は、つきこさんの作品。
ずっと撮りたかった咲き誇る曼珠沙華
曼殊沙華(まんじゅしゃげ)は、ヒガンバナの名前のひとつ。仏教で使われれるサンスクリット語では「天上の花」という意味をもつ音が、曼殊沙華。
ヒガンバナは、お彼岸の頃に咲くから「彼岸花」。
ほかに、地方ごとに呼び名を変えて方言名も多い。
わたしの実家の辺りだと、キツネのもっている鬼火みたいだから「きつねのちょうちん」と呼ばれてた。
地方ごとにいろいろな名前をもつのは、それだけ、ヒトの身近にあった花だったということ。
すっと立ち上がった、あざやかな赤い花は、夏草の茂ったなかに在っても目をひく存在。
名づけてもらえるほどの、存在感。
名づけて区別しておきたいくらい、強い気持ちを人に持たせることに成功した彼岸花。