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しきたりと、精神と。型に残すもの
年に一度。カビとたたかう日がやってくる。それは、鏡開きの日だ。カビのはえ具合がどうであれ、鏡餅を必ずひとかけらは食べなければならない。
鏡餅は、年越しから正月明けまで、お供え物としておかれてある。あの餅の中には、神様がやどる。その神様の力を、身体の中に取り入れるまじないとして、鏡開きがある。
鏡開きは、鏡餅を神棚からおろし、木づちでたたいて、餅を開く。ばらばらにされた鏡餅は、家族皆で分けて食べる。これは、神様の力を身体に分けてもらうためだという。そうすると、その年を健康に、家族仲良く過ごせるらしい。
だから、皆で鏡餅を分けるのだけれど、その時。鏡餅のカビくささが問題になってくる。
餅にカビが生えた時。いつもだと、包丁でカビを削って、焼いて食べる。けれど、鏡餅に包丁は使えない。爪でけずりとったり、たわしでごしごし引っかいたりして、カビをはがす。
餅を焼き、香ばしくするとカビのにおいが少し和らぐ(気がする)。けれど、鏡餅は焼けない。実家のある地方だと調理法は「ゆでる」。それしか選べない。
そして、カビが少しでも残っている餅は、ゆでると全体にカビのにおいがまわって、食べるのに苦しむ。
しかも、母や妹からは「大げさだ」といわれるほど、わたしは嗅覚が鋭い。家族の中で、カビのにおいに苦しみながら食べるのは、わたし一人という年も多い。
嗅覚のするどさは、においについての環境分析をするとき、大いに役立った。においを調べるときは、機械で成分を測ることも多いけれど、人がにおいを何度か嗅いで調べることもある。何種類ものにおいをかぎ分けて、同じ匂いを探す試験もある。そういったとき、決まって試験室へ連れ込まれていた。人の嗅覚と機械で分析した結果を見比べて、最終確認する試験者のひとりだった。
そのするどい嗅覚が、鏡餅を食べることをためらわせる。
一応、おいしく鏡餅を食べる工夫はしているのだ。ゆでた餅には、炊いた小豆をかけたり、きなこをかけたり。炒って香ばしくしたきなこをかけると、少し、そちらに気分が持って行かれて、カビのにおいを感じづらくなる。
それでも、鏡餅に生えているカビは少ない方がいい。正月明けから、そわそわと、鏡餅のカビのはえ具合を気にする。
今年は、カビが生えづらいように、部屋の暖房を入れるのをやめてみた。そのおかげか、今年の鏡餅にはカビが少なくて済んだ。
いっそ、真空パックされた鏡餅をそなえようか。
そう思うこともあるけれど。包装紙につつまれたお菓子は、紙をはがしてたべるように。真空パックされたままだと、神様も餅に宿れないかもしれない。そう思うと、なかなか決心つかず。
カビをはやさない工夫を、これからも試そうか。餅の大きさを、もっと小さくして、食べる量を少なくしようか。それとも、真空パックの鏡餅にしようか。
しきたりの型をどこまで残すのか。その型の内に宿っている精神は、何であるのか。それを知ったうえで、どこまで自分は型を残すのか。
来年まで。1年かけて、鏡餅のことを悩みそう。