わいてくる、祈り。
春が来て、桜が咲いて。昨日は、雪が降った。
スーパーに米を買いにでた帰りに、しずくのついた桜のつぼみをみて、うっとりした。足元は、しゃりしゃりと水気をふくむ重い雪がうっすらと積もっていた。
今日はもう、雪はなく、「いつも」のようにみえる月曜が始まった。
それでも、職場への出勤はなし。自宅での作業。おかげで、途中とちゅう、ふと本を手に取る時間がある。
ワーズワースの詩集を、久しぶりにながめた。読んだのではなく、ながめた。
わが心はおどる
虹の空にかかるを見るとき。
わがいのちの初めにさなりき。
われ、いま、大人にしてさなり。
われ、老いたる時もさあれ、
さもなくば死ぬがまし。
子どもは大人の父なり。
願わくばわがいのちの1日1日は、
自然の愛により結ばれんことを。
~「虹」ワーズワース詩集より
以前、この詩集を開いたのは、わたしが東北に住んでいたころだから、10年以上前のこと。
「心がおどる。自然の中で過ごす、わたしの心がおどる」
当時のわたしは、こんな解釈をしていた。
英文を読めば違うとわかったのかもしれない。
けれど、広い平地があり大きな岩手山が見えるあの場所で読んだ「虹」は、自然の中で過ごす人の心のよろこびを表しているように感じた。
そして、いま。家の中で、ぱらりとながめて。他の意味をわたしにみせる。
「人は大いなる存在(自然)とつながっている、ひとつのものである。
人は自然の一部である。自然への畏敬の心を持ち続けたい」
街の暮らしをしていて、今は家の中にいる。広くて大きな自然が近くにあるわけではない。
けれど思いあげれば今、この世界に
自分が生きていることに心おどる。
自分が生かされてあることに心おどる。
狭いところに入っているのに、どこか、広い場の一部にあるような。不思議な感覚。
もしかしたら、これが「祈り」かもしれない。
山の中で、空気に溶けていくように感じる「祈り」とも
また違う「祈り」のかたち。
街の中でも「祈り」は、わいてくるのか。
今、この時期だからわいてくるのかもしれない。静かにつながる、あたたかな感覚。
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本文上には、ぜひ。虹の写真を。
と探していてみつけたのがeverydaylazyさんの作品。
カララウトレイル、行きたかったんだよな。前回、ハワイに行ったときはトレイル好きさんとタイミングあわず、行けずじまい。
あこがれの地の風景、見せてくださりありがとうございました。