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自分自身と話をする、たのしさ

深く、じっくりと知った自分自身の内面は、身体から届く感覚と合わせると、より素敵な日常へ私をつれていってくれる優秀なセンサーになる。

だから、私は自分の内側と話をすることが好き。じっくりと自分を見つめて向き合い、何を感じているのかを探るのも好き。

このおもしろさや楽しさを共有したくて、自分のなかと向き合っていることを知人に話す。すると、痛ましいものをみるように見られることが多い。そして、「無理をしないで」「自分を責めないで」と言われる。

私としては、趣味のような日課のような感覚で自分のなかと向き合ったり話をしたりしている。特に、そこに判断というか、感情のおまけはついてこないのだが……

知人からすれば、自分自身と向き合うには無理が必要であり。感じるものを探ると、自分を責める気持ちが湧くものらしい。

私は周りと少し感覚がずれているようだ。だから、修行僧のようだといわれるのだろうか。知人からは、苦痛をこらえ、我慢しているようにみえているらしい。

修行僧のようだといわれて、むっとすることもあった。けれど、今は心に波立ちはおこらない。周りから苦しそうだと思われても、おもしろがり楽しんでいると自分自身で知っているから。

自分のことを自分自身が知っていると確信できる。その確信から生まれる安心感が「自分軸で生きる感覚」なのかもしれない。

自分軸で生きる感覚は、より素敵な日常へと私を連れていく。だから、今日も私は、自分の内面と向き合う。自分が何を感じてるか、何を思っているかを、自分自身と語り合う。




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