見出し画像

不確かなカモミール その29

29

ひどく性的に興奮する日だった。朝起きると、僕は宿泊している宿の中で、1番力がみなぎっているのは自分だと、すぐに直感で感じた。その源はどこなのだろうと考察した時、やはり最初に考えたのは心だった。しかし、そこまで心が元気なわけではなかった。心は極めて平凡な状態で、均整の取れた状態であった。次に考えたのは脳だったが、これもすぐに違うことがわかった。目覚めてから時間が経てば、すぐに特定することができたのかもしれないが、何せこの狭い部屋に押し込められてから数日が経ち、日々の授業や実習にも少しうんざりしていたため、僕はやや疲労を感じ、知能は変に冴えている面もあったが、特定には時間がかかった。
僕は朝、それもまだ太陽の日差しも弱いこの早朝のうちに、自分がため込んでいる重しを、熱を、全て出し切ってしまおうかと考えた。しかしそれは得策ではないと考えた。なぜなら、それは自分と同じ部屋にいる相手にひどく迷惑をかけてしまうからであり、もう一つは、自分の中にそれを阻止しようとしていたなにかが存在し続けたからだ。そのなにかは自分の心なのか、頭なのか、それともその重し自身なのかは見当がつかなかったが、そのなにかは、こう語りかけてきた。
「いいのか、その重しをおろしてしまって。今してしまったら、お前はひどく後悔することになるかもしれないんだぞ。君は、もう少し自分の意識を上手く逸らすことを学んだ方がいいね。君は、少し不器用すぎるし、この世界で生きるなら、何かをその期待値にかけて先延ばしすることも覚えなくちゃいけないぜ。もっと大きいもののために、今意識は逸らすんだ。そうしなきゃ、あまりに小さな人生になってしまう。分かるね?」
結局、僕は他の日の朝と同じように、朝軽い運動をして、ほとんど同じ量の朝飯を食べて、いつもと全く同じ文字数を友人に対して放ち、いつもと同じ服装で授業へと向かった。狂気を隠して常人を装うのも、悪くない気分だ。
授業は一言も耳に入ってはこなかった。僕は教室の、後ろの方に座り話を聞いていたが、全く集中することはできず、ひたすら股の間に刻まれる鼓動を感じ続けることしかできなかった。もはやこの世の森羅万象をもってしても、この鼓動の意識を逸らすことなどできず、僕は最後の手段である、ひたすら耐え忍ぶことを選択していた。僕はとてもじゃないがこの苦しみを押さえつける事はできそうになかった。朝は立派に演説してきたなにかも、何も語りかけてこなかった。大丈夫かい?の一言もなしだ。実に都合がいいやつだ。
授業は最初の1時間が終わり、約10分間の休憩に入った。僕はひどく疲れ果て、机にうずくまっていた。友人たちは皆、自販機に飲み物を買いに行っていた。別のことを考えることで意識を逸らすことができるカテゴリーもあることはわかるが、逸せないカテゴリーもあることは明白だ。僕は逸らせない側のカテゴリーと対峙しているのだ。これは大変なことだ。人は認識によって苦しみ、悩むものだ。長距離を走っていることに対して苦しむわけではない。人は、長距離を走ることによって、筋肉や肺などに大きな負荷がかかっていることに気づいて、苦しみを認識して苦しむのだ。何も身体的なサインが出なければ、人間はフル・マラソンを走ることに何の恐怖もない。
前列の方に座っていた女の子が、僕の席にきた。先の授業中に、僕は何度もその女の子の後ろ姿が視界に入っていた。その女の子は、ツヤのある長い黒髪で黒いドレス風な服を着ており、背中が見える作りになっていた。それが彼女を大人の女性に見せるのであり、男を刺激する要因になっていた。二等辺三角形状に彼女の背中の一部が見える。いったいぜんたいなぜそのような系統の服を自動車免許用の授業に着てくるのか見当もつかなかったけど、そのドレス風の服から見える何もシミなどが発見できない背中や、肩甲骨の出っ張りなどは、上質な素材で作られたキャンパスのように思えた。当然、先の授業では、それが僕の性的な興奮を誘発するトリガーにもなっていた。あいにくだが、今日の僕は、最高級の絵の具を持っている。
「さっきの授業、すごく辛そうだったわね。前の席からでもわかったわ。」
「前の席からじゃ僕の姿は見えないのに?」
「そう、何となく分かるの。」
その背中には目のような役割もあるのだろうか、もしくは、自分に向けられた間の抜けた、しかし熱量のある視線は感じ取ることができるのかもしれない。
「そうか、確かに僕が君の立場でも分かるのかもしれない。」
「それは言えてるわね。私も、あなたと一緒でこの授業には飽き飽きしてるの。誰でも分かることをベラベラとしゃべられても何も面白くないわ。若い私たちの人生には、たぶんもっと刺激が必要なのよ。こんなブタ箱みたいな教室じゃなくてね。」
「でも、教室を出たら授業欠席の扱いを受けるぜ。免許の授業というものは、能力や習熟度ではなくて、ひたすらに形式だけを守らせようとするんだ。」
そう言いながら、僕は彼女のいうことの方が筋は通ってるなと思った。若い僕らには、刺激が必要なのだ。
諦めて僕はズボンとパンツの中から、ペニスを取り出し、彼女にこういった。
「このペニスを、君にどうにかして欲しいんだ。あまり今まで役に立ってはいないし、僕にとって、こいつがいたことによっていいことも悪いこともたくさんあったけど、でも、それでも20年間は僕についてきたんだ。たまには彼に対してその見返りを支払わなければいけないのが、僕の役目な気がするんだけど。」
「1つ勘違いしているようだから言わせてもらうと、ペニスがあなたについてくるんじゃない。あなたがペニスについてきているのよ。」
「君のいうとおりだ」
「私に任せて。」

次の授業で、僕は彼女の隣の席に座った。彼女には女友達もいたが、誰も僕を見てとやかく言う者はいなかった。男にはペニスがあり、それは私たちに反応する、それを彼女たちは心得ている様子だった。
背中の空いた服を着た女は、授業中に右手を使って僕のペニスを手で優しく、しかし時々突き放すような感じでまさぐった。その間、彼女は僕の方を一度も見ずに、授業のホワイトボードを見続けていた。僕はそれを見て、なるほど、彼女は自分の意識を、何か他のことで紛らわせることができるのだ。少し羨ましさを感じていた。僕にはそれが上手くできない。それが僕の欠点でもあり、魅力でもある。
僕は、彼女に聞いてみた。
「申し訳ないお願いだという事はわかってるけど、君の背中を使わせてもらう事はできないかな?僕は君の背中にとても魅力を感じているし、君の背中も、それを望んでいるんじゃないかな」
女は小さく頷いた。
「別にいいわよ。今までも、何人かはこの背中を使ったわ。黒い服を汚さないでくれたらね。」
「ありがとう」

僕はしばらく彼女の手にまさぐってもらった後、立ち上がり、最後は自分の右手を使って、彼女の背中に射精した。彼女は拭き取る必要はないと言ったため、僕は礼をいい、その後は穏やかな気持ちで授業を受けていた。

その後、僕らは二度と関わる事はなかった。たまに校舎内で彼女の近くをすれ違っても、そのどちらかには大抵友人が一緒にいたから目を合わせる必要はなかったし、彼女は僕というより、一時的にひどく獰猛になる股の鼓動に志向があるだけだった。


いいなと思ったら応援しよう!