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素直に「YES」と言えないタイプ

東野圭吾のガリレオシリーズが好きでして。

相当惹かれたらハードカバーで出版された瞬間に買い、そんなに食指が動かなければ…というと違うな。食指は動くけれどぐっと収まるものがあるときは、文庫になって気が向けば買うという感じ。文庫まで待つのは、好きな本はできる限り手元に置いておきたくて、ハードカバーだとかさばるから文庫にしているという都合が大きい。確か「真夏の方程式」と「禁断の魔術」をハードカバーで買ったのだけれど、どちらも誰かにあげてしまったものね。だから手元にあるのは全部文庫。歯抜けになってる。熱烈とまでは言わないけれど、欠かさず行いたい気まぐれの習慣といったところでしょうか。長いスパンで見ると生活の一部になっていると思えるそういう馴染み。

ガリレオシリーズは、旧知の間柄である刑事と大学教授とが難解なトリックに立ち向かういわゆる推理もの。犯人はおよそ最初から読者には知らされていて、登場人物と共に二重三重のトリックを解きながらその種明かしと、犯人の心理、置かれた環境に触れてゆくのが特徴ですかね。犯人が誰かを探っていく探偵ものとはそこが大きくちがう。

先日『沈黙のパレード』を読み終えまして、その中の一節でこんなやり取りがあったんですよね。地域振興のために催された、住民参加型のパレードを見ながらのやり取りです。

夏美「楽しんでるみたいですね」
湯川「楽しむというより、勉強になる」
夏美「そういうのを楽しんでるっていうんです」
引用:『沈黙のパレード』 東野圭吾 文春文庫 p137 会話文のみ一部抽出

湯川というのはこのガリレオシリーズのメインキャラクターでして、通称ガリレオ。作中の大学、帝都大学理工学部物理学科の教授です。クールでスマートながらも時にウィットにとんだユーモアも披露する切れ者ですね。

湯川「楽しむというより、勉強になる」

彼の場合は「楽しむ」というのは、きっとディズニーランドなんかでワーキャーと心躍る高揚感と共にアトラクションに参加するといったところなのです。だから冷静にパレードを観察している今の状況は「楽しむ」にはそぐわず。参加者の趣向を凝らしたパレードの作りが、興味深く勉強になったと。だからこそわざわざそう言ったんでしょうか。

言葉に繊細というか、そのワーキャーいう状況と同一視されるのが恥ずかしいというか心外というか。

とは言え、一般的にはそういうのも含んで「楽しむ」って言うんだよという意味でのひとこと。夏美は大学2年生の女性。

やり取りから人となりが見えてくる。とても微笑ましい。


なんでもかんでも返答に「いや」と挟むタイプやら、なんでもかんでも「YES」って言わない悪意に満ちたひねくれ者もいるけれど、単なるひねくれではなくて、こういうほほえましいパターンもあるなって。

こういうのが好きです。

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