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鬼退治という薄っぺらい大義
荒木博行さんの「藁を手に旅に出よう」を読了しました。
Voicyのタイトルコールでよく耳にしてたので、認知はしてたけど手に取ってなかった本。
ジャンルは「働き方」ですが、アドラー心理学から自分軸/他人軸問題、集団心理、正論さん、社会的分断の課題まで…。幅広く、でも深く網羅されてました。どれも「うさぎと亀」、「桃太郎」など、有名な寓話を使って展開されてるため、今までの解釈がすべて覆ります。笑
読み終わったいま残ったのは、「わたしの大義は何なのか」という問い。
たぶんこの本の中では本流のテーマではないけど、一番刺さった桃太郎でグラレコチャレンジ!
鬼を退治した先にあるもの
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桃太郎って、「鬼退治」が目的でしたよね。
でも、そもそも、鬼ってなんか悪いことしたっけ?いきなり押しかけて成敗するなんて、鬼に取ったらテロリストでしょ。
でも、みんなここに疑問を感じなかった。
「敵」が決まれば、あとは正義感がなんとかしてくれる。力を合わせて、「敵」をやっつけちゃうんです。ヨシ、やっつけたぞ!高揚感!✨
で、その先に何があるかというと…
また新しい「敵」を見つける、ということだそうです。
末恐ろしくないですか?
でも、こんなこと。国際社会でも、日本社会でも、はたまた職場でも…よく見かけますよね。もちろん、ネットでも。
吉野屋の常務取締役の件
吉野屋の常務が不適切な発言をしたそうです。
分かりやすい「敵」になったんですね。もう、非難の嵐。そりゃ、発言内容が事実だとしたらとても擁護できるものではない。わたしも断固として許せない。
けど、だとしても燃えすぎじゃないですか…?この常務にも家族がいるわけで。人生狂いますよね。。
で、この炎上が落ち着いたら、新しい次の「敵」を見つけてまた成敗する。これを繰り返すと、、、「明日は我が身」状態。いつ、自分に矛先が向けられるか疑心暗鬼になる。。
非難する人たちが望む社会は何だろう?
差別のない、誰しも人権を尊重される社会?
それ、わたしも望んでます。
だとしたら、やれること/やらなくていいことがあるんじゃないかなぁ。
※念のため強調したいのですが、この常務を擁護するつもりは到底ございません。
たわわの件
ちょっと前から炎上してるたわわについて。
たわわを日経新聞の広告に出してほしくない人たちはどんな社会をつくりたいの?逆に、たわわを広告に出し続けたいひとはどんな社会を望んでるの?
互いに、世界観をもってる。いずれも正しいし、だからぶつかる。
前者|
女性にも人格や主体性がある。男女平等の社会をつくりたい。
後者|
表現の自由を守り、全体主義への回帰を食い止めたい。
ようく見ると、「多様性の尊重」という共通項が見える。
ここに、分断のワナから抜け出すヒントがあるのではないでしょうか。
わたしの世界観はなんだろう
ニュースや情報に触れて、「えー!」と反応するのは、自分の世界観に反するからだと思うんです。
でも、この世界観が全く言語化できてない。
だから、手っ取り早く主張する方法として、相手を非難したり、悪口を言う。
で、相手から「ごめんなさい」を引き出して、
勝ったつもりになって、それでいいんでしょうか。
わたしが見たい未来は、相手からの「ごめんなさい」の姿?「あなたの言う通りです」の降伏?
・・・違います。
何か意見がぶつかるな、と思った時は短絡的に対処せず、互いの世界観を話し合おう。共通項を見つけて、建設的な議論をしよう。
そんな教訓をいただきました。
荒木さん、ありがとう!!!
おしまい