約束しなくても必ず会える関係
同じスイミングスクールに通いませんか、と誘われた。
もちろん、わたしではなく息子の話だ。
息子と仲の良いお友達のママ(つまりママ友)からのお誘い。
年長の冬になっても、定期的な習い事はひとつも通ったことがなかった。くっ・・・ついに、その時がきたか・・・と腹をくくった。
定期的に時間を固定されること。
2才児を連れながらの送迎。
習い事道具のお手入れ、管理。
・・・しんどい。
限界ワーキングマザーは、
土日は少しでも体力回復に努めたい。
(つまり何もしたくない)
しかし、「〇〇くんと一緒ならスイミング通う!」と宣言するお友達の意見と、
スイミングに通わせたいママ友および私の夫の意見は合致した。
(主たる送迎者となるわたしの意見を除いて)
息子が泳げるようになるため、運動を楽しいと思ってもらえるためと思って、面倒くさいなどもう言えない、と母は腹をくくったわけだ。
しかし、ひとつだけひっかかることがあった。
毎週1時間、スイミングの時間にママ友と顔を合わせることである。
未就学児は親の付き添い必須。息子たちを待っている間、ママ友と2人きり(+2歳児)だ。いったい何を話せばいいんだろう。少しの戸惑いと、ためらい、そしてしつこいが週末の自由が奪われることの抵抗が渦巻きつつも、スイミングスクール通いが始まった。
そうして時がたつのは早いわけで、すでに約半年ほどたった。
お察しのよいあなたはすでに感づいているかと思う。そう。まさかの、毎週末のスイミングの時間が、楽しみなのだ。
ママ友とたわいもない会話をすることが、である。
その一週間あったことを、オチもなくウケもなくひたすら話す。翌週もまたその続きを話す。仕事や家庭のグチも、失敗話も、体調辛い話も、来週の予定も。終わることないフリートークであっという間の1時間だ。
毎週会うもんだから、他者コミュニケーションスイッチを入れてハイテンションになることもなく、自分のペースでリラックスして話せるようになった。
なんとなく、「ママ友」っていう存在が怖いと思っていた。しかし決してそんなことはなく、同業他社というか、同じ村の戦友という感じ。
「ママ友」というほどよい距離感はもしかしてすごくちょうどいい存在なのかもしれないと思った。
もっと早く勇気出して、話しかければよかった。
おしまい
最近読んだ本①
コミュニケーション能力は個人に帰結されるけど、本当はそうじゃなくて他者との関係性のはなしだよって。
最近読んだ本②
「おっしゃる通りですね」にイラっとしたことのある方はぜひ。勝手に理解されてたまるかという視点は面白い。
最近読んだ本③
推しの哲学者(←言いたい)、谷川嘉浩さんの新書です。コスパとかタイパとか生産性とかキャリアデザインとかにうんざりしちゃった方にオススメ。