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お母さんはどんな人でしたか?親から与えられた影響は想像以上にあるという話
専業主婦家庭が当たり前の時代、わたしの母親は自営業、共働き。飲食店経営のため土日も仕事。父は子育てにほとんど介入せず、基本的に母任せ。
学童もインターネットもない1990年代に幼少期を過ごしました。
保育園のお迎えはいつも一番最後。
小学校時代の習い事は徒歩圏内のピアノ。
中学時代の塾の送り迎えは雨の日だけ。
大した距離でもないのに、車で送り迎えされてる友人を横目に、
「過保護かよw甘ったれちゃって」
と、毒づく思春期女子。
・・・今思うと、そんな友人達が羨ましかったんですね。あとは、(送り迎えされない)自分を正当化したかった。
母親について想い出をめぐらせるきっかけになったのが、ママボラン内でのイベント”オフ会|はるラジオリスナーで語る「理想の母親像は実はまやかし?みなさんのお母さんはどんな方でしたか?」”。
自身のお母さんにまつわるエピソードを語り合うことで、いま私たちが直面してる課題「子どもと過ごす時間の確保」のモヤモヤを分解していこう、という主旨のイベントでした。
わたしたちは親が大好き
専業主婦、パートかけもち、共働きと、多種多様な母親たち。
「母親にしてもらったことと同じことをしてあげたい」
意識の奥底にすりこまれていて、そのもどかしさに悩む参加者。
一方、自分の子育てにおいて親を意識したことがほとんど無かった自分。
なんでだろう…?と考えていたところ、Voicy(またw)でこんな放送に出会いました。
グラレコチャレンジ↓
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みんな忘れてるだけで、基本的に親が大好きな生き物。女性であれば母親、男性であれば父親を人生のモデルに置くんだそうで。
だから、「反面教師」も、「母みたいになりたい」も、いずれも母親が基準にいる。
で、その影響が強く出る人・弱く出る人の違いは、「親との心理的距離感」のちがい、なんだそうです。
心理的距離感を振り返る
心理的距離感、とは、例えばこういうことらしい。
どれだけ親が子離れしてたか?
どれだけ子が親離れしてたか?
兄弟姉妹関係(第一子が親の愛を受け止めてくれるため、第二子以降は距離感が生まれやすい)
私は第二子。兄がいますが、かなり年齢が離れている。幼少期は父親とよく遊び、しかしながら平均よりは激し目wの思春期を経た。今では、わたしのやりたいように、のびのびと育ててもらったことに深く感謝してる。高卒、自営業の親とは全く違うキャリアを歩んでます。
一方、わたしの兄(長男)はというと。親離れ、というより親嫌い。幼少期から厳しく叩かれたことを今でも根に持って、反発している。父を反面教師として、「絶対に手を出さない。話せばわかる」をモットーに子育て中。だけど、お店を継いだり、なんだかんだ父親と似たルートをたどっている。母は「お兄ちゃんお兄ちゃん」と、わたしより溺愛気味。
兄が、親の愛?を前面に受け止めてくれていたからこそ、そして自営業共働きという時間的余裕のなさがあったからこそ、たまたま、わたしにとってはちょうどよい心理的距離感を親と取れていたのかもしれないな、と思いました。
無意識の見える化
ところで。
さきほど、「自分の子育てにおいて親を意識したことがほとんど無かった」と申し上げたのですが、これ、意識として顕在化してないだけで、潜在意識や無意識下では、両親の影響をバリバリに受けていたことが分かりました。
例えば、
ルールはギリギリを攻めていい
弱さは人に見せるものではない
選択肢はたくさんあった方がいい
とか。。
気付いたきっかけはこの本。イベント内で紹介いただきました。
グラレコ↓
![](https://assets.st-note.com/img/1648071765368-J7xgvzADAu.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1648071779034-8dt1FqEEdT.jpg?width=1200)
衝撃なのが、脳の誤作動。無理にポジティブなことを言っても、脳は「これからもそう言い続けたいのですね!了解です!」と逆に動く・・・。こわすぎるんですけど。
著者いわく、事実の解釈そのものをネガティブなままに、むりやりポジティブな言葉で覆っても脳が混乱するだけだそう。
例えば、
「お金持ちになりたい!」というのは、「貧乏=よくないこと」という解釈で、ネガティブのままなんです。で、脳がパニックでとんでもなく誤作動。
じゃどうすりゃいいのと言いますと、現実の解釈そのものをポジティブに書き換えて、脳の反応パターンを変えるのがポイントだそうで。
「貧乏=いいこと、ステキなこと」ってこと。
「貧乏いいじゃん。ちょっとのことで幸せ感じられるし。どんどん貧乏になってやろう!」くらい思えば、脳の反応パターンが変わり、誤作動が起きなくなる。らしい。(脳の反応パターンはグラレコ2枚目参照)
また、着ぐるみワークといって自分の親になり切って行うワークがあるのですが、これがしんどいしんどい。笑 母親の分だけやりましたが、ネガティブ感情に襲われるし辛い💦父親の分は時間を空けてやろう…。
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また、親との関係性にちょっと悩みがある人は、脳内の親を育て直すという強烈な方法の紹介もある。「自分と母親は別だから!」と頭で言い聞かせるよりとても具体的なアプローチだと思いました。
(ただ、この本…メンタルが落ちてるときとか、病気のときとかにやるとのめり込みすぎる危険性もあるなと感じました⚠なんだろ、引きずり込まれすぎちゃうというか。ヘルシーなときに「へぇ~」って読み流すくらいがちょうどいいかも?)
てことで、親との関係性にちょっと悩みがある、でも健康的な人におすすめの本です。(なんだそれ)
自分は、子どもに「すりこみ」してないだろうか
この本は、あくまで自分と自分の親との関係にフォーカスしたものですが、現役で子育てするわたしにとっては、やはり自分と自分の子どもとの関係が気になるところ。
何気ない会話で、わたしの価値観をすりこんでないだろうか。
普段の会話を思い返してみました。
「あきらめない。チャレンジし続けよう。」:逃げることの禁止
「え~泣かないでよ~💦」:感情を出すことの禁止
「バクバク食べれたら、一緒に公園いこうね」:条件付きの愛
自分、怖っ・・・。特に無意識だったのが、ひとつ目の「あきらめない」ってやつ。子どもの努力を後押ししようと一心で伝えてたけど、逃げ道がなくなっちゃうよね。でも、、塩梅が難しい。。
また、親の声が子どもに与える影響がいかに大きいかを実感したエピソードがあります。
保育園に通うむすこが3才すぎたくらいから、
「女の子だから仲間じゃないよ。一緒に戦いごっこしないんだよ」
と言い出したときに、まずい!ジェンダー感が再生産されてしまう!と危機感を覚え、
「男の子も女の子も関係ないよ」
と言いました。
すると、4才のいま、ことあるごとに「男の子も女の子も関係ないよ」とむすこの口から出てくる・・・。ちょっと言いすぎたかもしれません。てへへ
子どもの成長を伴走するにあたって、言いすぎてないか?押し付けてないか?本人の意思・感情はどうなのか?このあたりを考えながら、子どもと関わっていきたいなぁと思った一日でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
おしまい