「分かりやすい」と「思考させる」の両立
CONTEXT DESIGN 著:渡邉康太郎の感想のたたき台を晒してみる。
谷川嘉浩さんの講座DAY2の課題本だ。
創造が生まれるプロセスを、「分かりやすさ」を軸に考察したい。
社会が弱い文脈で溢れたらいい、と著者は言う。弱い文脈とは、個人の解釈や結びつけられたエピソードのことだ。一方で、強い文脈とは作者の意図た広く認められている読解を指す。
なぜ、今の社会は弱い文脈で溢れていないのだろうか。言い換えると、なぜ、今の社会は強い文脈に溢れているのだろうか。
その理由は、「分かりやすさ」が重視されるからだ。
作品に触れる際、極力思考したくないし、考えることが面倒くさいと思う人が大多数だと思う。分かりやすい作品は、簡単に理解することができるし誤読も生じない。作品の内容に同感した場合は、「言語化してくれてありがとう」というリツイート的拡散をするとしても、わざわざ個人的な文脈を発露する必要はない。
逆に、分かりやすいが内容に同感できない場合は、「それは違う」と二項対立的な反応を呼びこむだけであり、奥行きは生まれない。
一方で、分かりにくい作品は一般に受け入れられない。消費に失敗したくないからだ。調理にやたら時間のかかる素材は買わないように、インスタントに実を取れる手段が溢れた豊かな時代の今、わざわざ分かりにくさに挑むモチベーションが湧かないのは自然なことだ。
それでもなお、分かりにくい作品にしがみつき、思考する時間を割けば、弱い文脈として語りたくなるのだと思う。解釈の正解がはっきりしない分、受け手の自由にできる。私はこう思ったんだけどみんなはどうかな、と社会に問いかけたくなる。
本当の豊かな時代は、どちらなのだろうか。
著者は、弱い文脈の発露を、コンテクストデザインが促すという。コンテクストデザインとは、消費者を創作者に変えることを企図するデザイン活動のことだ。書き手が意図した一定の概念と同時に、読み手一人ひとりが自ら主体的に解釈し独自のコンテクストを所有するもの。それをつくるものだ。
もしかすると、コンテクストデザインされた作品は、「分かりやすい」と「考えてみたい」を両立できる、最高の魔法がかけられているのだと思う。
以上、谷川さんのbook camp DAY2の課題本「CONTEXTDESIGN」の感想でした。