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8月31日前後だけヨイショして善人ぶる人々 #不登校

こんにちは。成人した人間です。
ちょうど10年前ぐらいに不登校児をやっていました。
今年も『#8月31日の夜に。』が放送されたりして不登校界隈が大きく盛り上がったのではないでしょうか。(もう不登校界隈に居ないので知りませんが)

個人的不登校辛い瞬間あるあるを思い出したので、書いておきます。

  1. 平日の朝と夕方(通学中の声が聞こえる)

  2. 休日の日中(どこに行っても生徒が居る)

  3. 長期休みは一日中(同じく)

  4. 学園ものの作品

  5. 同じ年の人間がテレビで活躍している様子

  6. リビングに行ったら親がニュース番組の不登校特集を見ていたときの緊張感

などなど。



……皆様、お気づきでしょうか。
辛い瞬間というのは毎日、毎時のように存在するのです。

そう!!辛いのは!!

8月31日だけじゃないんだよ~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(大声)


というのは当事者の皆様ならもう分かり切ったことだと思いますが、どうしても世の中、8月31日前後しか不登校にスポットライトが当たっていないように思います。8月31日は自殺数が多い、ってことは8月31日が辛いんだね、というのが浸透しすぎて、それ以外の日も同じくらい辛いんだ、ということが理解されていないような気がするのです。

私の体感ですが、大人になって飼っていたハムスターが息を引き取ったときよりも、うつ病と診断され引きこもっていたときよりも、不登校の毎日を過ごしていたときの方が絶望感が強かった気がします。
未来が見えない日々がほぼ無限に続くのですから。
大人の皆様方は不登校なんてたった数年のことだとお思いかもしれませんが、子どもにとっての1年は大人にとっての1年よりも相当長いです。(詳しくは『ジャネーの法則』でググってください)ほぼ無限です。

向こう岸が見えない川を、泳いで横断しようとしているようなものです。めちゃくちゃ頑張れば辿り着くかもしれないけれど、途中で溺れる可能性もぜんぜんある。ぜんぜん辿り着かずいまにも溺れそうなのに「頑張れば対岸に着くよ!」ととてつもない先の話をされたら「はぁ!?こっちゃ溺れてるんですが!?」ってなるじゃないですか。
だから「いま耐えれば進学して楽しい日々が待っているよ」とか「大人は楽しいよ」とか言われても「いやいまが辛いんだが」ってなるんですよ。
「未来を提示するんじゃなくていまを助けてくれよ」って思うんです。

その辛さを緩和するにはどうしたらいいのか、は人によりけりだと思うのでいったんは言及しないでおきます。
そんだけかよ!!って怒られそうなので、おまけとして私が不登校時代に熱中していたことを書いておきますね。

・資格の勉強
・プログラミングの勉強
・図書館通い(平日昼間に限り)
・ゲーム

うつ病でもそうですが、なにかに熱中しているあいだはつらさが若干緩和されるので(それでも若干ですが)熱中するってことが結構大事な気がします。

以上、8月31日前後だけ不登校をヨイショして善人ぶる人々に物申す回でした。


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