《61》上から目線ってダサいね
最近、強く思うのは
「人から人へ」
「心から心へ」
「手から手へ」
これが
どれほどすごいことかっていうこと。
私は誰かに
どれだけ 何を 渡せているかな
と考えることが
このところ、とても多くなった。
特に問題なのは
自分に
《負のバトン》
が回ってきてしまった時。
自分はどうするか?
受け取ってしまった《負のバトン》
そのまま 次に渡してそうとしていないか?
なんなら、さらに負を加えて渡していないか?
あるいは
受け取りたくない!
持っていたくない!
と拒絶して
《負のバトン》を放り投げていないか?
自分は、これまで
放り投げてしまうことが多かったと思う。
または、次に渡さず、抱えたり背負ったりしてしまう。
私は人から「人の悪口言わないね」とか「裏表がないね」って言ってもらえることが多いけれど、それは、悪口陰口を言いたくなる人と付き合わないからっていうことでもあると思う。
でもね、最近、思う。
人のことや、何かの出来事を、善悪で決めるのってよくないなって。
これじゃあ自分の世界ってひろげられないよね。
何か自分がマイナスな気持ちになる経験をすると、つい、相手を悪者にしたくなり、いらぬ粗探しまではじめそうになったりする。
こういうのを上から目線っていう。別名は、意地悪。または、人の足を引っ張る とも言う。
こんなことしてちゃダメだよね。って本当に思うの。
上から目線になって、他人をああだこうだ言いふらしたり、言わずとも心の中で他人を見下し裁いたりする《負の原動力》って、実は自分の中にあるんだよね。
でも、そこを認めず、他人から回ってきた《負のバトン》のことばっかり言ってやしないか?
って思っちゃうんだよね。
私の場合は、勝ち気でプライドがめちゃくちゃ高いから、負けた感、負けてる感を認めるのが、ものすごく嫌で!!!!!
そんな自分を認めたくないから、上から目線になろうとする嫌なクセがある。
でも、強くなりたいなら、変わって行きたいなら、自分の弱さとか、ダサさとか、負けを認めないと、どうしょうもないし、負けはダサいけど、自分の負けを認めないのは、もっとダサいね。
悔しいなら、なんとしてでも頑張って勝ち上がることだと私は思う。
それも、勝つっていうのは、相手に対して言葉や態度で暴力的に出ることじゃないよ。
たとえ相手から受けたマイナスが大きかったとしても、自分のプラスがそれを上回ればいいってこと。
それが、勝つってことだし、光の戦士としての在り方だと私は思う。
戦わない地球防衛軍は、自分自身の愛と努力と感謝を、どこまでも高め拡げることに注力することで強くなる。
タマラエネルギーを使うための意識や、基本的な姿勢だと、私は思う。
今までの自分の人生、裏表少なくいられたのは、単に好き嫌いのままに生きて、嫌いな人との関係を終わらせてきたから。
でも、それは自分にとって損、とまでは言わないけれど、得でもないと思うし、どちらかといえば、損だと思う。
目の前の出来事、目の前の人には、どんなことでも、どんな人でも礼節を尽くし、誠実な人間でありたい(いや、なりたい)。