旅する土鍋2019 「途立つ誕生日のスケルツォ」(前編)
イタリア語「スケルツォ」は「冗談」という意味かつ、音楽の世界では快活で急速な三拍子の楽曲を示す。おどけた感じが「冗談」という言葉と重なる。ショパンの「スケルツォ第2番 変ロ短調」などがそのひとつ。
前半目次
1. 肉眼と無限遠なレンズ
私たちはリグーリアの海にいた。
前の晩に書いた七夕の短冊を見ながら「願いは叶うのだろうか」なんて、無限遠に合わせたレンズでもって話していた。娘のように年齢が離れている中国人のイーゥインちゃんは、見上げるように背が高くモデルのように細いのに、朝からお腹すいたとパンをパクパク食べながら「おめでとう、ひとつ大きくなったね」と姐さんに向かって言った。
すっかり七夕に占領されて自分の誕生日を忘れがち。しかも誕生日に限らずアニバーサリー的な要の日づけが覚えられない。誕生日はいたって普通に過ごす人生だったが、この数年スペシャルな誕生日を静かに一人で迎えていた。去年はスイスのローザンヌでモンブランを眺めて目に焼き付けていたっけ。
2. 胡椒と塩
海で泳ぎ、ぬれた水着のまま広場にある八百屋でレタスやこの時期一番おいしい「タバッキエーラ(タバコケース)」という名の桃(桃の形が昔の吸引タイプの煙草粉を入れるケースに似ている)を買った。そうだ、リグーリア土着ヴェルメンティーノ種の白ぶどう酒も買って、師匠とイーゥインちゃんとのお昼ごはんに「お祝いの言葉ありがとう!」と言って開けよう。潮風の味がする白ぶどうがしみるのよ、じわーっとね!なんて言いながら、きっとおいしいランチになるわと。
お昼ごはんはいつも粗食。この日もパンを薄く切り、市場で買ったトマト(庭のトマトはまだ熟れていない)にバジル、オリーブオイル、塩をひとつまみを和え至って簡単に極上の逸品完成。隣町で買ったタレッジョチーズに、新鮮なレタスを用意する。
おや、おやおや?生ハムが出てきた。私たちが海で泳いでいるうちに、師匠がこっそり買っておいてくれたようで、こんなこと普段しないタイプなのでたいそう驚いた。
狐につままれはじめたのは、この時からだった。
食いしん坊のイウィンちゃんが「グイド!今夜ミラノに戻ったらケーキ買おうよ」と陽気にせがむ。師匠は、孫に言われたら仕方ないなというような顔をして「まあ、いいけど」と答える。これまた珍しい。「ケーキを買ったらペペ・サレ(胡椒と塩)の家に行くんでしょ?」と彼女はいう。
意味不明。
現在のミラノの市長は、中道左派のジュゼッペ・サラ(Giuseppe Sala)、愛称「ペッペ・サラ」。彼女は「サラ」を「サレ(塩)」と呼びまちがえた上、促音が苦手なので「ペペ(胡椒)サレ(塩)」になってしまったわけで。
しかし、訂正されても、わけがわからない。
どうしてミラノ市長の家にケーキを持っていくのよ。おまけに、わたしがさっき買った白ぶどう酒も持っていくから昼ごはんに開けちゃダメだという。冗談大会なんだろうなと、わたしも話を合わせ、お昼ごはんのあいだずっと「ペッペ」のスケルツォ(冗談)で盛り上がった。
驚くことに、サラ市長は師匠の友だちだと言い出す。「サラは市民に寄り添う人柄だからね」「サラは師匠のうちの近所の大学出身だしね」「サラもここ(師匠の別荘と同じ町)に別荘を持っているしね」(これは事実だった/近くにセレブが滞在するポルトフィーノという町があるのになぜ?)など、冗談はジェットコースター級に緩急し、うそでしょ!と突っ込みながらも、なんだか本気かもと思いはじめてしまった。
それでも、まだわたしは半分疑っていた、彼らのスケルツォを。