うごく色彩うごく言
はじまりからおわりまで瞳孔をひらいてみるような暗闇と色の映画をみました。映画は「うごく色彩」であり「うごく言」だと思います。(L'attesa è un film del 2015 diretto da Piero Messina)
ヘッダーの写真はミラノで展覧会をしたときのぼくら陶のつみきの表情。映画のような古い街のなかでとてもリラックスしていたように記憶しています。映画は、ここに風がふいているような砂色と深い湖色の、通常イメージする青海のシチリアとはまた別の色彩の町が舞台でした。
**陶のつみき Exhibition **
Eppur si muove それでも地球はまわる
アトリエの中のひとはスケジュールをあれこれするのが下手で、このところ心の色が褪せてきていました。中途半端な絵具は筆洗いの水を汚すばかりで、人ごみの東京のまん中はなぜかモノクロでした。打ち合わせを優先しなければいけないところ、どうしても前に進めず、ひとこまの隙間に「うごく色彩」の時間をぎゅうぎゅうでも入れ込みました。メトロを上がると、おひさまを見ずに映画館に入ってしまうコンビニエンスすぎるくらいの東京で、隙間をつくるのはなかなか大変です。
「うごく言」を静かに演じる女優の魂。ジュリエット・ビノシュのエイジングを騒ぐ人も少なくありませんが、彼女はわたしの青春といっしょに時空をかけぬけてくれた宝物箱のような女優だと思いました。
とても厄介で鬱陶しい物語です。途中でもうダメだ~退席するかとも脳裏をかすめたくせに、終盤でシアター椅子に固められました。とても難しい演出であるため終わり方に期待すらしていませんでしたが、エンディングが迫るにつれ、そういえばシチリアには、ゾクゾクするような“影のある風”が吹いていたということを思い出せてくれました。そしてそのシーンが答えを導き、思ってもいない感情があふれました。
エピローグからプロローグまで彩度と明度を落としたフィルターがかかった「うごく色彩」は、意外にも、疲労困憊で危うく失いかけていたアトリエの人のなにかを取り戻しました。(エンディングで大きな意を成す「エンナの聖行列」)
鮮やかな作品をつくればつくるほど「うごく色彩」の補給が必要です。それは、必ずしも発色のよい色彩である必要はありません。きょうは工房にこもります。
精霊の祭りをイメージした
「陶のおめんちゃん」シリーズ
(※今月末の個展でも一部お披露目予定)
Cocciorino コッチョリーノ地球のかけら
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