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いじめを糧にした話

私は中学生の時いじめられていたんです。

田舎の中学校で1学年2クラスしかない学校。
中学や高校時代の女子ってグループを作りたがりますよね。(男子もそうなのかな?)そのグループが絶対、グループに入ってない子は変わった子、友達がいない子。くらいに中学や高校の狭いコミュニティーで生きていくにはグループに属していることがとても重要だった。

中学1年の時仲のいい4人組グループで毎日過ごしていたんです。とても仲良くて何をするにも、どこに行くにもいつも一緒だった。もちろん部活動も一緒。
中学1年の2学期のある日、私は突然グループの子全員に無視されるようになった。何の前触れもない。昨日までは普通に話して一緒に行動して過ごしていたのに…。
初めは私の勘違いかと思っていた。移動教室の時や昼食後の昼休みの時間、みんなのところに行こうとすると明らかに私を避けている。
「あ、私避けられてる。グループからのけ者にされたんだ。学校生活終わった。」
そんな風に思った。

次の日からもグループの子は私を避けていた。何やら私のほうを見てひそひそ言っているのも分かる。
もうこのグループに固執するのはやめよう。

幸いなことに私はクラス全体からいじめられていたわけではなかったので、元いたグループの子以外は普通に私と話してくれるし、ほかのクラスの小学校からの友達のところに休み時間のたびに話に行って何とか過ごしていた。

でも出来上がっているグループに新たに加わることはとても難しく…
私はどのグループにも属さない独りぼっちになった。
学校では気丈にふるまっているけど、どこか寂しさがあったし孤独感がすごかった。

家に帰って一人籠って静かに泣くこともあった。毎日仏壇に線香をあげて「明日は楽しい学校生活になりますように」ってお祈りしてた。(今思うとご先祖様もお願いされて困ってたと思う笑)

「このまま不登校になろうかな」って思った時、私の負けず嫌いな性格が出てきたんです。
もしこのまま不登校になったら、私をいじめてる元グループの子3人(A子、B子、C子)の思うつぼじゃん。それはめちゃくちゃ悔しい。

もし私が1日も休まずにめちゃくちゃ楽しそうに学校に通ったらあの3人の悔しがる顔が見れるんじゃない⁉そう思って私は学校に通い続けた。
新たにグループに属することは無理でも、休憩時間毎にいろいろなグループのこのところに行って話すことで孤独感を紛らわせた。
とにかく悔しがる顔が見たい、その一心だった。

小学六年の卒業間近の時、当時の担任の先生に言われた言葉がある。
『因果応報』やったことは必ず自分に帰ってくる。良いことはもちろん、悪いことも必ずいつか自分に帰ってくる。そのことをよく覚えておきなさい。

中学3年になる前、私をいじめていた元グループの子3人の仲が分裂し始めた。それと同時に手のひらを反すように個々に私に手紙を渡してきた。「Aちゃんに無視するように言われて…」「Bちゃんが○○(私)の悪口言ってて…」「AちゃんとBちゃんが無視するようになったからどうしていいかわからなくて…」
謝罪文という名の、自分を正当化するための手紙。いまさらそんな手紙を渡されてももう一度そのグループに入る気なんてない。手紙は破って捨てた。

いまさら彼女たちの心情を聞いたところで私には心底どうでもよかった。

彼女たちはAとB、AとC、BとCというようにくっついたり離れたりしていたらしい。そんな関係で本当に仲のいい友達といえるのか…?
『因果応報』は本当にあるんだ。その時初めて確信した。

結局私は中学卒業するまでどのグループにも属さず独りだった。
でも周りの暖かい人たちのおかげで孤独ではなかった。

大人になってみれば中学のグループなんて、どうでもいいちっぽけなことのように思えるけど、当時の中学生だった私やクラスメイト達にとっては、とても大事なコミュニティーだったんだろう。

中学校なんて狭い狭いコミュニティー。そのコミュニティーの中で生きづらさを感じている人は今もきっと大勢いる。
どうか周りの大きな世界を見てほしい。井の中の蛙にならず、足を外に向けて大海を知ってほしい。



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