Tamanegi Note 1皮目
こんにちは😃玉ねぎです
前回は何故フリーランスになったのか?
についてお話ししました
前回の記事はこちら↓
さて、そろそろ本題に入りますね😎
私がやりたい事!は二つ
その二つはゆくゆくはリンクさせることにしてるので、今回お話しするのは…こちらを😊
まず、やりたいのは
女性美容師のサポート団体を作る
風が吹けば桶屋が儲かる…ではありませんが、あ〜そうだったんだと思っていただけたら幸いです
フリーランスになって少し経った頃、東日本大震災が起きました
私自身も東北出身です。
実家は無事で被害は少なかったのですが、叔母の家は全壊、母の生家は床上浸水。漁業を営んでいた叔父は津波を避ける為、船を沖に出して難を逃れています
私は池袋で仕事中でした。サンシャイン60がおもちゃの様に揺れるのを目の当たりにしました。連日テレビではもっと酷い被害を受けた場所や津波の映像を流していて、人間の無力さを痛感し只々、茫然とするばかりでした
それから半年経ち、まだ避難所生活してる方も多くいると聞き、何か役に立てないかとボランティアへ参加する事に。
栃木県で避難生活をするお年寄りや小さな子供たちへカットのボランティア 3回ほど参加しました
カットの依頼は多かったのですが、実際のところは自分達の実情を聞いて欲しかったのではないかと思います
きっと周りは同じ境遇の人。プライバシーを保てる様な場所ではなく、愚痴すら言えなかったでしょう。最後にカットした方が泣き出してしまい、なんと言葉をかけて良いか解らず、肩を摩ってあげる事しか出来なかった自分が歯痒くて、帰りの新幹線の中で落ち込みました
それはある着付け師の呼びかけで始まった
たまたま覗いたSNSで
「ヘアメイクさん!助けて困っています」という文字を見つけました
その書き込みが気になり連絡を取ったところ、参加予定のヘアメイクさんが来れなくなったのでヘアメイクを代わりにやってほしいとの事。
もちろんボランティアでしたが、主旨を聞いて即座に承諾しました。
「新たな思い出のアルバム」
津波や原発で思い出の品も写真も何もかも、失ってしまった方々に着物を着てもらい、ヘアメイクを施し家族で写真撮影をする
アルバムの1ページ目にその写真を貼り、これから沢山の楽しい思い出を増やしていって欲しい
そんな願いを込めたものでした
参加した方はとても喜んで下さり、評判を呼び、そのボランティアは3年続きます
今思うと、その3年は容易いことではなかった
全員のスケジュールを合わせ、みんなが話し合い、協力して実現させたのです
アルバムを匿名で寄付してくださった企業
皆の笑顔を撮ってくれたカメラマン
写真を丁寧にプリントしてくれた写真屋さん
快く着物を貸してくださった衣装屋さん
会場と被災者との橋渡しをして下さった自治体の方々
スタッフに食事を作って下さった婦人会の方
私とずっと一緒に仕事していたの?と勘違いされたほど、仲良しになったメイクさん2人
そしてこの企画をし、沢山の企業に掛け合って実現させた1番の功労者である着付け教室の先生
この3年の経験は私にとっても忘れる事の出来ない思い出になりました
賛否両論
実はボランティアの様子をテレビや雑誌に何度か報道されています
その放送後、美容所じゃないのに届け出をだしてるのか?そんなところでやっていいのか!と通報され、保健所からの問い合わせが入ったり、営業妨害だと近隣の美容室からも苦情が出ました。一時はもうここで出来なくなるかもしれないと思うこともありました
同業にとっては確かに迷惑だったのかもしれません。
ただ、想像してみて欲しかった
着の身着のまま家を出て、体育館のような場所での避難所生活。もう故郷には戻れないかもしれない。土地勘もない見知らぬ場所で仕事もなく、子供達は放射線云々のイジメもあったそうです。自分たちのせいではない自然災害ですべてを失ったのです
そんな計り知れない不安を抱えている人に何とか前向きになって欲しくて、ひたすらに自分が出来ることをしたい。喜んでもらえる事が我が事のように嬉しいし、私達の仕事は人を笑顔に出来る仕事なんだと理解を深めてもらえたら良かったなと思い出します
これからのこと
誰かの為に何かをする
身近な人に何かしたい
子育てが終わり、これからはもう一つの私の人生の始まる時に
あのボランティアを思い出して考えたのが
「女性美容師をサポートする団体を作りたい」でした
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