自分軸で考えても、大学院修了は「どうでもいい」ことなの?【いつか季節が廻ったら #10】
セミが泣き叫ぶ季節になった。
15回の授業と試験を終え、前期はそろそろ終了。
試験の採点をして、点数をつけ、単位認定をする。そんな日々になった。お盆が明ければ大学も長期休暇の様相になる。
教員は研究者でもあるので、研究を進める大切な期間となる。
年下彼にとって、今年度修了するためには、春前から進んでいない研究を進めることが必要だ。それも1月に修論発表会がある、というタイムリミットを考えるとそろそろ限界であった。修論発表会の前には 40ページを超えるの修士論文を大学に提出する必要がある。年明け早々だ。
修士論文を大学に提出、
それは以前、年下彼が「今は絶対無理」と言ってお蔵入りさせてしまった学術誌に投稿する論文とは異なる。
学術誌に投稿した論文は、審査する人が誰かは分からず、要求に対して答える必要がある。そして、常に問われるのは「学術的に何が新しいのか?」という問いであり、これは難問でもある。
一方、大学にだす修士論文は学位、もっと端的に言えば「単位」を認めてもらうための論文だ。誤解を恐れず、ふにゃふにゃになるほど嚙み砕いて言えば、「実験レポートをかなり深く掘り下げたもの」とでも言えようか。
ゼミの先生以外に学科の先生にも審査してもらうことになるが、それは「在学中に試行錯誤した」ことも含めて審査されるという性格を持つ。そのうえで「あなたは修士学位相当ですね」と判断される。
執筆には2か月は必要だ。その前には実験して結果を熟考する期間も必要になる。
「このままだと本当に修了は厳しい」
時間は刻々と過ぎていた。
ある日、用事があって年下彼は大学にやってきた。会うのは2か月ぶりだろうか。少し日焼けして、どこかに遊びに行っていたようだった。修了が厳しいのは分かっているはずなのに、何を考えているのだろう・・・?
「あの、最近進捗状況を把握してないけれど、どうなってるのかな?報告してほしいというのが本音だけど、どちらにせよ進んでいるならいいと思う。でも、もし4月のままだとしたら結構厳しくなりつつあると思うけれど。」
「学科長と面談したと聞いたけれど、私は学科長からは何の報告も受けてなくて、どうなったのかな。
なぜ学科長が内容を話してくれないかは、私も謎なんだけれど。とにかく学科長はよくわからない。」
話を聞くと、学科長面談では、とくに話をせず、学科長が一方的に自分の話をしていた、とのことだった。
よくわからなかった。
このころ、ゼミの先生を変更する案が学科長より提示されてもいた。それは年下彼にも伝えられたのだった。
ただ、修論発表会の数か月前にゼミの先生を変更することは、受け入れる側にとって大きな負担となる。学生本人が作業をすることは大前提ではあるが、受け入れた先生には「学生を修了させる」責任が生じてくるからだ。
時期にもよるが、「ゼミの先生を変えたい」「はいどうぞ」とは簡単には行かないのだ。あと半年と迫った中では厳しい。
入学後すぐであってもけんもほろろに「無理です」と言われてしまうこともあるし、学校によっては認めないこともあろう。
研究の世界は一見すると「分野が近く見えても」、じつは当事者からみればかなりの距離があることが多い。
学科長が打診した先生は、学科長から見れば「分野が近い」ようだったが、当事者同士で話をすり合わせて、学生を受け入れられるかどうかを吟味する必要がある。
私は交代を打診された先生と話し合いを重ねた。ゼミの先生は変更せずに補助することにしよう、そう決めて、補助を了承してくれた先生から年下彼に課題を出したところだった。
しかし最終的に「ゼミの先生が変わったのか、変わってないのか」、学科長から年下彼に伝えられることは最後までなかったのだ。
年下彼からすれば、「ゼミの先生が変更になったのか?」と思いながらもどうなったかわからない。そんな状況だった。
「ゼミの先生を変えるって聞きました。」
「それ、変わってないよ。私がゼミの先生のまま。学科長、伝えてないの?」
「聞いていません。」
「自分で聞いたりはしないの?・・・自分のこと、どうなったか気にならないの?」
「・・・。」
「どうするの?この先。いや、どうしたいと思ってるの?」
「ゼミの先生が変わるとか変わらないとか、どうでもいいです。」
「どうでもいいって・・・、自分のことじゃないの?」
「・・・。」
「この時期にゼミの先生が変わるということは、引き受ける先生にとっても重大なことなんだよ。分野は近くて遠い、それに責任が生じるから。修了させなければ、という。
・・・それに、「どうでもいい」とか言ったら、本当にこのままズルズルと冬を迎えることになる。交代候補の先生にもそんなこといったら、サポートは望めないよ。「あなた、やる気あるの?」ってなる。」
「自分で決めて、死に物狂いでやるしかない。
修士論文の構成を考えて、どんな完成を目指すのか?
そのためには何が必要なのか?これを真っ先に考えないと。」
残りの時間とそれを考えて、必要な人、場所に相談しないと、皆がお膳立てしてくれるわけではない。修了するために頑張らないと、本当に修了できなくなる、本当にギリギリのラインに立っていた。
何回目の「どうでもいい」だったろうか。
一回目は研究計画書が「どうでもいい」と言ったのだった。
彼はちょっと込み入ってくるとときどき「どうでもいい」と時々言った。
考えることを放棄している、そのようにしか見えなかった。
怒った。
「どうでもよくない!」
「自分のためにやってるのじゃないの?
「あなた」の大学院で、「あなた」の修士号だよ。自分軸でよく考えてみてごらんよ。そうしてほしいのよ。
先生のために研究してると、前に言ってたけれど、あれは本心?
自分が2年間、社会に出る前に頑張って実力をつけて修士 (工学) の学位を取ろうと、4年生のとき決めたんじゃないの? 」
「修士 (工学) はあなたのものであって、私のものではないのよ。学会や学術誌への投稿論文は頓挫してしまったけれど、修士号はとにかくやり切りなさい。」
とにかく「自分軸で考えなさい」そして「最後までやりなさい」それだけだった。
ふてくされながら年下彼は帰っていった。