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大学事務局と学科の先生、そして私にとっての退学届けの意味。 【いつか季節が廻ったら #11】
「先生、聞いてますか。」
「何をですか。」
「あれ、知らない?退学届けがでたのですよ」廊下で、まるでゴシップ記事を面白おかしく言うように学科長に言われた。
出張から帰って出勤した日のことだった。
「私、今初めて聞きましたけれど。いきさつはどういうことなのですか?」
「あ、私はよく知りません。」
「誰に聞けばいいのですか?事務局の誰?」
「・・・先生、私、今怒ってるんですよ。わかってます?なぜ1週間も放置なんですか?私、彼のゼミの先生なんですよ?わかってます?」
静かに言った。内心怒り心頭だった。
私が、年下彼から退学届けが出されたのを知ったのは届け出後1週間も経ってからだった。
自室に戻ると、自分でも驚くほど動悸がした。心を落ち着けてまず大学のホームページを確認した。必ず教員と相談してから退学、休学届を出すこと、と。大きな字で書かれていた。
守られていない・・・。
事務局担当者を部屋に呼び出してヒアリングした。
「ホームページにはそのように書いていますが、実際の運用では、それが守られないことが普通です。先生に相談したかとも聞きました。しかし話を聞いて、彼の意思は堅そうだと判断し、退学届けを渡しました。」
「学生委員の先生には報告しました。」
後は学科内での話になるのだろう。
私は一時期、大学の事務局で仕事をした経験もあるので、事務局サイドから見れば、そうかもしれないなと一定程度は納得する。
しかし、なぜゼミの先生がずっと知らされないままなのか。
学科内で情報共有がされないということが起こっていたとすれば、このシステムで行けば、完全に退学届の書類が廻ってからしか知らされないことになる。1~2か月先のことだ。
なぜ勝手に受理したのか。
「事務局の方から見たら、学科内やゼミ内の状況は、わからないかもしれない。それは一定程度理解します。」
「ただ、ホームページに書かれてる通りに運用されていない。ゼミの先生に相談もない。学生が先生に相談できない状況にあると訴えたとき、なぜ事務局からゼミの先生にひとつも相談・報告してくれないのですかね。」
修了に向けて、ゼミの先生を交代するか、どのように修了させるか、相談を進めていた最中の出来事だった。
「学生とゼミの先生との間の関係について、これをいったん横に置いておくとしても、研究で用いたデータやサンプルの散逸や持ち出しが起こるんですよ。こういう状況になってしまったら、学生は自分勝手に動き、こちらの呼びかけに応じないことが起こりえます。」
学生サイドからみれば、「退学届けを出したのに、何の関係があるんだ」と言いかねないのだ。研究は税金でやっていて社会へ還元しろとあれほどうるさく言うのに、学校がそれをさせないようにしている、私にはそう見えた。
「ふだんから、学期ごとの成績表の返却をわざわざ、ゼミの先生にさせて、その時に面談をするように、この大学は求めてきますよね。その際に学生の不調を報告しろと、大学事務局は言うのに、いざ、学生がやめるというような事態になったら、事務局はゼミの先生を無視するのですかね。」
落ち着いて静かに説明した。
事務局からみれば、学科内のことだからノータッチであるとは思う。しかし、今回のように学科長が学生に無関心な場合、本当にゼミの先生は知るすべがないのだ。
「どいつもこいつも、いったい何なの!?」、話しているとふつふつと怒りが沸いてわめき散らしたい気分になった瞬間、悲しみが広がっていった。
事務局担当者は、私の在籍する大学の専任職員ではなく、数年で別の部署に異動になる。大学のことを細かく把握しきれていなくてもそれは私が咎めることもできない気がした。大学の一定数はこのような状態にあり、問題になっている。
事務局担当者には謝罪され、この後はいろいろ相談に乗ってくれるようになった。
退学届けの事務処理を一時停止にしてもらうようにした。
退学に関する処理は毎月行われるそうだ。授業料の支払いの問題があるが、遡って許可が受理されることを確認し約1か月の猶予をもらった。
ああ、もう退学の意思は変わらないだろうな。書類を提出していない時点であれば説得のしようもあった。
一縷の望みを託しつつ、でも、もう多分・・・何を言っても届かない。
これまでの学会発表や論文投稿を拒否してきた、白黒思考的な行動をみれば、いったん決めたことが覆されることは、ないだろう。
半月ほど前、日焼けした年下彼に会った時、私は彼に対して悲しみながら、猛烈に怒った。
「修了までどうするの?「どうでもいい」と言っていたら誰も動いてくれないよ。あなたはどうしたいの?」
「修了するためには必死にやるしかないよ。やるのはあなた自身」
そう言った。
なぜ、自分のことなのに、そんなに拒否するの?、悲しいよ。どうにかして今すぐ立て直してやり遂げなさいよ。
怒りは二次感情なのだそうだ。最初に感じる、つまり一次感情は実は怒りではない別の感情だという。それが怒りとなって表出する。そんな話を聞いたところだった。
私の怒りのその下の一次感情はきっと、「悲しい」「わかってほしい」「心配」そんな感情に埋め尽くされていたのだろう。これまで大泣きしたのも怒ったのも、すべて「悲しさ」「心配」そんな一次感情の上にあった。
年下彼はどうだろうか。
感情を表現することはあまりなかった。
普段、たわいもない話をしているときは感じなかった。
しかし、ちょっと深い話をしようとすると居心地悪そうにした。たとえば私の父が他界したこと、小さいころ大きな地震にあって怖かったこと、ほんの少し、私の心の内を出すようなことを言うととたんに顔が曇った。
これぐらいの信頼関係があれば、別に聞いてくれてもいいのに。心の内を少し見せたときに、「そうなんですね。」と、それだけで返事してくれたら救われるのに、そうはしてくれないな。そう思うようなことがたびたびあった。
それは、私が少し年下彼のことを深く聴こうとしたりしても起こった。
「もう話終わりました?帰っていいですか。」言語化してもらえないことが多かった。
心の内を見せるのは苦手なのかな、何かは感じているように見えるけれど、感情がよくわからないな、そんなふうに感じていた。そんな日々での退学届けだった。