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相手の心が傷ついているように見えるのは、自分の心が傷ついたから?【いつか季節が廻ったら #18】

あなたの機嫌を取るために、研究していた
見捨てられても仕方がない
そう言われた日、二回りも年下の彼の前で泣いた。涙が止まらなかった。なぜそんなに悲しいことを言うのかと。

その後猛烈に腹が立ってきて、
「私の気持ち考えたことあるの?」
「手を差し伸べてくれている人はほかにもいて、そういう人たちの気持ちはどうなるの。」
怒った。

それでも、「機嫌を取るため」の意味が分からなかった。
「分かり合えません」と言われて言語化されることもなかった。
否、年下彼にとっては自分でもわからなくて、言語化できないのかもしれない。
言語化できても、私に言ったら嫌われると思ったのかもしれない。

「先生のこと大好きだから、うまくいかなかったことで見捨てられたくない。でも好きだなんて、口がさけても言えない」
 
こんな感じだったのかもしれない。

そういえば、研究の打ち合わせをする約束をしておきながら、直前で自信がなくなったのか年下彼が「体調がすぐれないから延期してもいいですか?」
とラインしてきたことが何回かあった。
 
通知欄にメッセージが出ていたので、「既読」にせずしばらくそのままにしておいたら、「送信取り消し」していたことがあった。
「既読」を付けても、すぐ返信せずにいたら、そのあと「送信取り消し」していたこともあった。
 
気が付かないフリして
「じゃあ、予定通りで大丈夫だね。」
そう言って打ち合わせをしたことがあったことを思い出した。

彼なりに何かの作業は進めてあり、
私ががっかりすることも怒ることも一度もなかった。
 
それでも、年下彼にとっては
「これだけ“しか”進んでない。」
「先生ががっかりする」
「出来ない。」
そんな思いが頭を駆け巡っていたのかもしれない。

自己肯定感が低いのかな。
そう思いながらも、
励ましながら、
「できてない」と怒ることも一度もなかった。

年下彼がもしかすると、親や周りの「機嫌を取りながら」しか生きるすべがなかったのかもしれないと、思い至った。
その時、年下彼の心が大量出血しているように見えた。
「心から大量出血してる!!」
ガーゼをたくさん持って行って止血してあげたい。

傷ついたまま、平然と
「大丈夫ですから!」
と言って去っていった、そんな感覚にとらわれてしまう。

人の機嫌を取りながら生きることに疲れました、そう言われた。
いつの間にか「私」という他人軸になって大学に通っていたのなら、そりゃ、ストレスが溜まって爆発するときが来るだろう、そう思ったら腑に落ちた。

大学は学問を教える場所であって、生い立ちに踏み込むべきではない。そういう意見は甘んじて受けたい。関わりすぎだ。友人に話すと
「その子のこと、好きでしょ」
「そんなやつ、放っておいたらいいやん」
大半がそんな意見だった。

多くの人はこんな態度をされたら
「勝手にしなさい」
と言って終わりだろう。
わかってる。わかってるけれど・・・
今回たまたま、人としてのちょっと深い部分に触れてしまうことになり、期せずして自分の涙が止まらなくなるという体験をした。

退学届の事務処理が進むギリギリまで、書類を保留にしてもらっていた。
「もう一度話さない?この間の私の話、あれは私からみたあなたであって、私の意見。あなたがどう思うのか、聞いてみたい。」
「どういう選択肢をとってもそれは尊重するけれど、自分軸で、退学か休学か考えてみて?」
「自分のための修士号だよ。心に蓋をしてまで私の機嫌取る必要はないよ。」
「私はあなたを見捨てたことはないよ。これまでも、そしてこれからも。」
 
 
「季節が廻って、いつか、このことを振り返れるぐらいの間柄のまま、あなたを送り出したいと思うのだけれど、それも私のワガママかな。」

返信はなかった。
そして学科長を交えた面談で会ったのが最後の別れとなった。
挨拶することも、なにもなかった。

悩んだ時間が徒労だったとは微塵も思わず、今なお年下彼と話をしたいと思う。私は、相手を理解したいという気持ちが人一倍強いということを知った。

自分なりに理解した瞬間、相手の心から大量に血が出ていると思い始め、自分がものすごく相手を傷つけたのではないかと悩んだ。

そして、それをガーゼで覆ってあげたいと思ったのに、相手が「平気」と言いながら、目の前からいなくなってしまったことが、たまらなくショックだった。
こんな感情をこれまで、意識したことがなかった。

「心から大量出血」しているように見えるのは私だけで、相手はじつはそうではないのかもしれない。年下彼は何も語らなかったし、私に対して怒ることもなかった。それでも、年下彼を傷つけたかもしれないという思いが消えない。

もしかすると、自分が子供だった時代に同級生からされた「辛かった体験」の古傷を投影しているだけなのかもしれない。

私は小さいころ、同級生から嫌なことをされてたくさん傷ついて、そこから立ち直るのに長い時間がかかった。

小学校のころ、おとなしい男子同級生がいじめられているのを学校で見たとき、「やめなよ」といえなかった。その男子同級生がどれだけ辛かっただろうと想像して、家に帰って大泣きしたことがある。
 
「辛かったね」

何十年も忘れていたのに、そんなことを思い出した。泣いた場所は自宅の一階、階段のそばだった、そこまで鮮明に思い出せる。

相手がどう思うか、辛いのじゃなかろうか、そんなことを思う気持ちが人一倍強くなったのかもしれない。
 
幼いころの傷は私の心にずっと残り続けた。


多くの人が進学しない「大学院」に在籍しても、その後、国立大学の研究室の研究員になっても、「あいつら、許せないな」という気持ちは残り続けた。

自分がやってもいい、面白いと思える道を選択し続けて、心の底から「私は私だ」と思えるようになったのは、 30代中盤だろうか。それとともに、その許せない気持ちは小さくはなっていた。
 
最終的には国家プロジェクトの調査に参加し、大学で教鞭をとるようになってようやく、古傷が「とう」 (かさぶた) になってそれが自然とはがれてきれいな皮膚になったかしら、と思えるようになった矢先の出来事だった。


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