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なぜだかわからない、でも大切な人を傷つける、そんなことがあるんだと知った。【いつか季節が廻ったら #5】

あっという間に就職が決まった後、年下彼はふたたび平然と部屋にやってきた。

「こんなのどうでもいい」
押し問答の末、未提出になっていた研究計画書の相談に来たという。

「平然と」ではなかったかもしれない。
意を決して部屋の戸を叩いたのかもしれない。
でも、やってきたのは事実だった。

「あなたがどうでもいいと言って以降、私は計画についてこれっぽっちも考えてない。だから、私の考えはあの日以降、進展してない。」
そう言った。

事実その通りだったのだ。
私は、当時、別の論文の執筆で頭がいっぱいで、頭の中は別の調査地での結果のことで埋め尽くされていた。

研究者の頭の中は、いつも何かを考えている。それは論文を書くためだったり、アイデアを出そうと考えていたり。常に考えていないと、やがてその研究課題は頭のなかで「休憩状態」に入る。

学生にいつも言う。
「私に、自分の研究課題のことを真剣に考えてほしかったら、タイミングを見計らって私に相談しにくることを継続することが重要よ。そうじゃないと、私の頭の中は違う調査地や研究のことで埋め尽くされちゃうよ。」

「こんなの、どうでもいい」
そういわれた相手はどう思うだろうか?

「あ、そう。」
「今すぐ、投稿論文にするわけでもないし、私もどうでもいいや、とりあえず考えるのは「休憩」かな」
そんな感じじゃないだろうか。

自分がしたくないなら拒否するのは勝手だ。
それでも自分が発した言葉や態度の先には相手がいることは忘れてはならない。

私は、学生がどんなことを言っても見捨てたりはしない。
本人がそのうち戻ってやりはじめるのを待っていた。

しかし、人は簡単には思い通りには動かない。
自分が相手に「何かをしてほしい、一緒に考えてほしい。」そう思っても、相手にだって都合がある。それはお互いさまだ。

 
年下彼が研究室に配属されて以降、私はずっとどうしたら彼が成長するかなと思ってきた。これは年下彼に限らない。数少ないゼミ生、いきさつはあれど、私の研究と研究室を選んでくれた人たち。

皆が研究者になるわけではない。数年のお付き合いで今後二度と会わないことになるかもしれない。それでも何か一言でも一つでも、彼らの人生の中に残ってくれたらいいなと思う。

反抗期の年下彼。なぜそんな態度をするのだろうか。
反抗的な態度を取りながら、ほとぼりが冷めるとやってくる。
自分が年下彼ならば
「そんなに反抗したくなる相手」なのであれば、ある時からは距離を取って
「もう、関わりは最低限にしよう」そんな風になると思うからだ。

何がしたいのかわからなかった。
ずっと楽しく研究をしてきたはずで、いろいろな話もした。
いつのころからか心を許し、「甘え」の気持ちが出てしまったのだろうか。

それが、いつの間にか、何度も何度も相手を傷つける言葉を投げつけるようになった。ダムが決壊したかのようだった。

 
恋愛的な意味ではない。そうではないけれど、
「私は、あなたには大切にされない存在なんだ。」
「どうして大切にしてもらえないのだろう。」
 そんなふうに思えてならなかった。
わからなかった。
 
私が大事にしてきた、
どんなに悪態をつかれても見捨てずに後輩学生を指導すること、
大切な研究費を使って調査や学会に連れて行くのはなぜか、
急なことがあっても、対応できる限り対応する気持ち、
 
「そんなことお構いなし」
そう言われているようだった。


そりゃ、私は、年齢分は相手に対して寛容でありたい。それでも、だ。
あろうことか、年下彼の前で、このときすでに2回大泣きしていた。そして怒りもした。私は本当に大学の先生で年下彼は学生なのだろうか?

こんなに心が震えたこともなかった。
 
自分がどんなに傷つけることばを投げつけても、反抗しても私が見捨てたりしないという絶大な信頼のゆえの行動なのだろうか?心の底がどうなっているのか、知ってみたいと思った。

年下彼は相手のことを少しでも考えたことがあるのだろうか・・・。
人を大切にする、相手を愛する、そんな気持ちが希薄なのだろうか。
大切な人を大切にできない、そんなことがあるのだろうか。



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