開店前の喫茶店。
僕は勝手口のシャッターの鍵穴に預かっておいたスペアキーを差した。そのとき、肌身離さず身につけていた
浅草寺で授けていただいたお守りがポトッと僕の足元に落ちたんだ。アレ?と、思ったよ。なんか胸騒ぎっぽいものが一瞬頭を掠めた。これは用心しなさいという「おしらせ」かも知れない。僕はシャッターを押し上げ、
今度は扉の鍵を取り出す。開店前の店内。
冬の早朝。モーニングの仕込みのため、開店より30分前から作業を始めることになっている。
でも、それでは間に合わない。メインは珈琲だけど、
立地のせいか軽食もよく出る。品数は多くないが、
簡単な定食も出している。そうなると、まずご飯を炊かなくてはいけないし、毎朝一升は炊く。
ゆで玉子も50コは作る。サンドイッチ用に殻を剥いて
マッシュしてマヨネーズで和えたり、定食に添える
サラダ用のキャベツの千切りも大量にしなくてはならない。珈琲はホット用の豆とアイス用の豆とあり、
ミルでひいてコーヒーメーカーでたてる。
アイスコーヒーはアイスコーヒーマシンへ投入。
これで冷却はおまかせ。
キッチンのやることはいくらでもある。
だから僕はカウンターの電気だけ灯し、薄暗い中で
作業台に向かい、黙々とそれらの作業をこなしていた。もう体が覚えてしまっているので頭を使わずとも自然に手際よくガスの元栓をひねり、着々と必要な開店準備に没頭していた、そのときだった。
「アンタ、朝から早いなぁー。」
え、誰?知らない声だ。
僕はキッチンだから先に来ていたがもうすぐホール係の手練れが来るはずだから、勝手口の鍵はかけないでおいた。外はまだ夜明け前の暗さ。この店もブラインドを閉めていたし、目立たない場所にある勝手口からこの男が入って来たのだ。僕は心底おどろいた。
男はそんなことお構い無しにズカズカとスーパーで買い物したらしい袋を手に下げてドカッとソファーに腰をおろした。
「あの、申し訳ありませんが、」僕は恐る恐るそいつに向かって説明した。「当店の開店時間は午前7時となっておりますので、ただいま準備中でございます。開店してから、またお越しください。」
そいつの顔色がサッと変わった。
それからのそいつの言葉は意味不明だった。
そしてなぜか、僕を殺すと言っている。
とりあえず、こんな朝早く起きてないだろうけど、
と期待してはいなかったが雇われ店長の携帯に電話する。いつもは出ない店長がなぜだかこのときばかりは
電話を取った。その間も男はギャースカピースカ物騒なことばの羅列をわめき散らしていた。
実際、キッチンには「調理」に使うための包丁がズラリと並んでいるわけだし、危機感バシバシだ。
受話器越しでも男の声が聞こえたらしく、店長は「逃げなさい!」と言った。僕は「ケーサツ呼んでええですか?」と尋ねた。「いいよ。でもとりあえず君のことが大切やから店から出て!誰かに助けを求めるんや!」
僕はダッシュした。そしたら、男が僕のあとをついて走って追いかけてくる。なんという執念深さ。
いつも徘徊してるホームレスおじさんが僕を見て、
「駅に行って駅員さんに助けてもらい。」
駅まで走った。駅員さんはホームの清掃をしていたらしくホウキとチリトリを持っていた。
そしてひと目で状況を察知し、僕の代わりにそいつに
謝ってくれた。「この子もまだ若いし失礼を許してやってもらえませんか。ほら、あんたも謝りなさい。」
僕は憮然となった。なんでこっちが謝らなアカンねん、因縁つけて来たのはそっちやろ。
でも、駅員さんがここまでしてくれたのは感謝してるので、仕方なくボソボソっと「すみませんでした?」
と言ったら、男は去った。
駅員さんは僕をなぐさめてくれた。
「こわかったやろ?」
僕は店に戻り、開店作業を続ける。ガチャガチャと勝手口のドアノブを回す音。そうだった、これにこりて、
勝手口の鍵を内側からかけておいた。
手練れは不思議そうに「いつも開けておいてくれるよね?」ときょとんとしていた。
僕は手練れの顔を見てホッとした。僕は今朝いろんな方に助けてもらったけど、今オマエの天然に救われたよ。
さぁて、今日も始まるぜ!