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わたしのストーリー。

 突然ですが、セミナーなどで「このかたはどんな方だろう?」と思うこと、ありませんか? 

 その人の経験したことは、伝えたいことと強力に繋がっていると思うわたし。わたしも伝えたいことがあるので、とっても恥ずかしいのですが、あえて晒すことにしました。※長文です


身体と食べ物はつながっていることに気づいた10代

 高校の頃、父親が糖尿病を発症。もともとワガママな性格だったので治療食の本には見向きもしませんでした。みかんの缶詰を食べながら、お菓子は食べていないと笑っていた父。血糖値は500。普通の人が100以下であることを考えるとあまりにも高すぎ…。

 でも糖尿病は基本的に自覚症状がないので、食事は変えない父。その代わりやっていたのが健康食品でした。○サヘルスというドリンク剤だったんですが、キャップ半分が定量のところを瓶半分を毎日飲んでいました。ちなみに効能は疲労回復。

 家には食品成分表など、栄養関連の資料が転がっていました。高校生時代は、かつてバレーボール部だった食事スタイルをそのまま引き継いでしまい、体重も60Kg超えに。運動会で友達と並んで撮った写真に衝撃を受け、ダイエットスタート。1年で12Kgのダイエットを決行。

 この体験がきっかけとなり、体と食事との関係に関心を持ち始めます。食べなくても太るのはなぜだろう、といった疑問が生まれ始めたのもこの頃。これをきっかけに、栄養士への道を志すことに。また、家族のいうことを全く聞かなかった父親に対して、栄養のプロがアプローチしたらどうなるのか感じたのもきっかけでした。

体調が悪くてもやせることしか考えていなかった20代

 20代の頃は編集者まっしぐらの時代。流行のダイエットは片っ端から試していました。痩せる石けん、にがりダイエット、などなど。

 生理はどこまでも不順で、出張の前日に出血が止まらず注射で止血して無理やり行ったりしていた。毎日終電帰宅、徹夜は当たり前。甘いものが大好きで、食事代わりに食べていました。

朝食は○マザキパンのチュロスやスタ○のラテとチョコスコーン。昼は外食、お菓子を食べながらキーボードを叩き、夕飯はレーズンパン。家には炊飯器がありませんでした。お酒も多いときは週4で飲みに行っていました。
 顎の下にはびっしりと赤いニキビができていて、上を向くのが本当に嫌だったのもこの頃。仕事がうまくいかないときはニキビもひどくなり真っ赤っか。体重は変わらないものの、いつもだるくて朝起きられず10時出勤なのに寝坊することも多々。原稿やゲラにダメ出しされると上司に「どこがダメなんですか!」と楯突くこともしばしば。お通じはほとんでない。でもそんな体調が普通であり性格のひとつだと思っていました。

食事で体は変わるが、合っているかは別と知った30代

 そして、フリーランスとして書籍や雑誌の編集・ライティングを手がけるようになりました。栄養士の肩書きが重宝されました。なんでも、栄養士は通信教育では取得できないため、ライターの中でも栄養士を持っている人はほとんどいないのだとか。そのため、栄養系、レシピ系、健康系のオファーを多くいただきました。ありがとうございます。

 その中で出産を経験。取材で出会ったステキな助産院でお産をしました。良いおっぱいを出すための食事指導を徹底的に受け、玄米と野菜が中心の食事。肉、大型の魚、甘いものも×、という生活を送りました。体臭が一気に消えて胃が軽くなり、産後体重は1日で戻り、小躍り。授乳効果で、食べても食べても人生で一番やせていた日々。食べ物で体がガラリと変わる体験でした。
 この頃、オーガニックに本格的に目覚めだし、粉石けん、石鹸シャンプーなどにも手を出すようになりました。
 3年同じような食事を続け、一方で産後4ヶ月で仕事を再開。ある取材の時、あまりの疲れに座り込んだまま動けなくなりました。確かに食事で体は変わったけれど、合っているかどうかは別という強烈な体験でした。


そして今。取材の先に行き着いたオーソモレキュラー

 ライター時代は、200人以上のたくさんの健康法提唱者、ドクターに取材をしました。マクロビ、生姜紅茶、にがりダイエット、スムージー、ローフード、呼吸法、断食、温め健康法、一般的栄養学、酵素栄養学、時間栄養学など様々。第一線の方々の話を聞くのは最高に楽しかったです。贅沢すぎる講演会。

 取材をするとき、最初にかなり勉強をしてから臨むのですが、その時に、かつて学んだ栄養学が頭をよぎり、疑問を感じることも実は少なくなかったのです。タンパクはどこで取るの? 血糖値は大丈夫? など。

 そんな矢先、ある雑誌の取材で、栄養カウンセラーの定真理子先生に出会い、オーソモレキュラーを知って人生が激変しました。ピースが全部はまっていく感覚。

 そこからセミナーに毎月通い、定先生の紹介で資格取得に向けて動き出すのです。学びを実践に変え、食事を見直したところ、肌もきれいになったと褒められ、疲れも激減、体重コントロールも容易に。いいことづくめ。

 資格取得後、オーソモレキュラーを保育園給食で実践。一方で栄養カウンセラーとして臨床現場で経験を積んでいます。ライターとして誰にでもわかりやすく伝えるのも大切にしていること。

出会った方の、自分の、心と身体の可能性に立つ存在

 現在のコンセプトは、心と身体の可能性にコミットする栄養。一人一人の心と体の可能性に寄り添ってゆきたい。

 私たちは本来、“完全”として生まれてきていると考えています。もし体調やメンタルに不具合が出てきているのなら、体の分子、つまり栄養が多かったり少なかったりすることで機能不全を起こしているのだと捉えています(もともと持っている思考回路のパターンで体内の分子を浪費しやすかったりする場合などもありますが)。
 ライター時代、たくさんのドクターに取材し健康法をたくさん試した結果、わたしが行き着いたのオーソモレキュラーでした。あなたにとって、栄養学を土台にした科学をベースに、心と身体に、静かに眠っている可能性に寄り添う存在でいたい、そう考えています。

そしてわたしが始めたこと

現在は4つのクリニックで栄養カウンセリングを担当。延べ10000件ぐらい。かたわらで、ドラマをたくさん見せていただきました。
個人カウンセリングも行っています。

研修やセミナーなども。さらにはplus NUEtritionを立ち上げ、たくさんの人に栄養を伝えるためのセミナーを開催しています。
このほかアスリートの栄養アドバイスに関わったり。
編集者時代のキャリアを活かして執筆活動も。
最近では、栄養カウンセラーの仲間を増やすべくカウンセリングの講座を仲間と一緒に開催したり。色々やっています。


 ここまで読んでくださりありがとうございます。決して優等生ではなかったわたしですが、だからこそ伝えられることがあると思っています。いろんな場であなたとお会いできることを楽しみにしています。



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