ハレの日は偶にあるほうがいい
懇意にしている方と近況を交わしていたときに、
「ホントそれ!」と盛り上がったハナシをおすそ分け。
かねてから楽しいことが先送りになりまくっている昨今、「また盛り上がりましょう!」とか「気兼ねなく楽しみたいね♪」という感じで、たくさんの“とっておき”を作り出しては抱えていることかと思います。
そして来たる日に、いざ!とため込んでいた「楽しいこと」が一気に押し寄せてきたり、詰め込んだりすると、いくらなんでもしんどいですよねーという話になりました。
そこで昔からいう「ハレの日」と「ケの日」って大事だなあというところに至ったのであります。
「ハレの日」とは「晴れの日」とか「霽れの日」と書き、儀式・儀礼や年間行事といった、そのメンバーにとっての特別な日・節目の日をさします。装いを正しくし、特別な食事をし、その時間を共有する。昭和の頃までは、こういった日でないと口にすることができない食べものや料理に心をときめかせたものです。
一方で「ケの日」は「褻の日」と書き、ハレの日ではない、いわゆる普通の日、日常ということになります。
言うなれば、年間のほとんどはケの日であり、幾度かの数日、限られたタイミングで訪れるのがハレの日ということになります。
想像してみるまでもなく、年に一度や一生に一度となるイベントが頻繁にあると、直接関わる人にとっては重要であるとしても、間接的に関わる人にすれば、仕事でもない限り結構大変だと思います。友人の結婚式が毎週末の土日に入っているとか、好きなアーティストのライブに10連チャンで参戦するとかだとある意味、リアルに感じる人もいるかもしれません。いつもフォーマルファッションでいるのもしんどいですし、毎日ごちそうばかりの食事というのも、やはり飽きが来るのが人情ってものではないでしょうか。
そこで、このご時世から解放されたときのことをここでイメージしておきましょう。友達と再会を果たすとか、新たな人間関係を築くとかいったイベントごとは、優先順位や時機もあるかと思いますが、自己完結できる範囲で冷静に仕分けしていくことを提唱します。
自分の場合だと、先方からお招きいただく集まりであるとか、旧知のメンバーがたくさん集まるイベントが集中しないよう祈りながら(笑)、サシ飲み会や(逃げないと判っている)観光地やパワースポットへの歴訪を中長期的(言っちゃえば数年がかりでもいい)に組み合わせて、月に1~2度ぐらいで収まるようにしていけば、おそらくおサイフにも優しいでしょうし、案外無理もしなくて済みそうです。そして何といっても、ため込んだ「楽しみ」であるわけですから、ホンモノの「楽しみ」であるのならば、時間が経てば経つほど、実現したときの感動もまた一入であるに相違ありません。
そういう日が”偶に(たまに)”あるのがいい。それを再確認できる日が早く訪れることを願う、日曜日なのでありました。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。