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【百線一抄】028■涸れぬ情熱が鉄路を繋ぐーくま川鉄道

八代から球磨川を遡って約50キロ進むと、小さな盆地に成り立つ
街がある。人吉市である。ここから道は川内、宮崎、延岡方面をめ
ざして枝分かれしていく。鉄道は隼人へ向かって山脈を穿つ肥薩線
と、球磨川に寄り添って湯前とを結ぶくま川鉄道に分かれる。湯前
は国道を小林、西都、阿蘇方面へとさらに分ける結節点でもある。

古くは大正末期からの歴史を誇る路線だけあって、少ない沿線人口
ゆえのこぢんまりとした施設ながらも、風格のある駅舎や橋梁が勢
揃いの湯前線だが、大雨による球磨川の氾濫が沿岸地域を襲い、肥
薩線ともども運行不能となってしまった。鉄道だけでなく、道路設
備も複数箇所が破壊され、復旧にかかる多大な費用や時間について
慎重な議論や計画形成が進められている。文字通り未曾有の規模の
災害であったことは、現地の惨状を見るまでもなく明らかである。

まともに被害を受けたくま川鉄道は、線路施設の流失や土砂流入、
さらには全ての車両が浸水した。文化財の1つだった球磨川第四橋
梁が流失しているため、仮に車両が動かせたとしても、平常の輸送
計画を実行するのは不可能に等しい。どうすればいいか。厳しすぎ
る現実に、打ちひしがれる小さなローカル線の末路が案じられた。

日頃の利用客がいるからこそ、交通機関は動く。道路がつながれば
とりあえずマイカーやバスなどで往来が可能になる。それ故に、役
目を終えることになった鉄道路線は全国各地に存在する。自然災害
も鉄道路線への引導を渡す契機となった地域も数多くある。ただ、
くま川鉄道は復旧を早々に決めた。通学利用という、多くの乗客を
さばける輸送力の確保がくま川鉄道に求められている現状がある。
もちろん、県と沿線自治体の支援があってこその再起宣言だった。

川の左岸を走る肥後西村以東は被災規模も小さく、再起不能と思わ
れた車両群も運行再開に向けて、できる限りの手入れを行う。弛ま
ぬ日常の取り組みは、代行バスによる通学生輸送に携わるスタッフ
とともに、来たる日の鉄路の復活にむけて息吹を吹き込んでいる。
多くの民間支援や、同業の第三セクター鉄道会社陣の共同企画など
も受けとめて、地元で必要とされている路線として今日も完全復旧
への道程を歩んでいる。五重奏の交響曲がレールを奏でる日が来れ
ば、是非とも湯前線の復活を称えるために足を運ぼうではないか。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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