【note300日投稿記念】たくさんの本に鍛えられた話
よく周囲から言われるのが「何でもよく知ってるなあ」なのですが、これはこれで本業(いわゆる「先生」と呼ばれる仕事)に携わる端くれとしてはとてもありがたい言葉なのであります。
ただ、ふと思うに自分などまだまだ知らないことだらけだし、聞きかじり物見遊山でそのままになっていて、とりあえずアタマの押し入れに投げ込んでいるだけの知識や経験もたくさんあって、とことん散らかったままの脳内でここまで生きている体たらくでもあります。
そのようなことを感じている今日この頃で、先日集まったメンバーがなかなかバラエティ豊かな面々で、かつこちらから話を振っていい雰囲気であったことから、冒頭に関連する話題について切り出してみました。
「みなさんは現在お持ちの卓越した知見は、幼少時や青年期にどのようにしてそこまで深めてきたのですか?」と。
結論は言ってしまえば「人それぞれ」なのですが、大きく分けるとすると、
・親や兄姉の影響
・生まれ育った場所の影響
・本が好き
の3種類ぐらいに分けることができて、しかも複数カブる人もそれなりにいる。そういう感じになりました。
自分の場合はこれでいうと3番目の「本が好き」が大きいようです。
幸か不幸か小学校に上がる頃には結構漢字の読み書きができる方で、もし小学生時代に漢字検定があったとしたら、おそらく6年生までに2級は取得できていたのではないかと思われます。(※参考:小3に上がるときに大人向けの漢和辞典や国語辞典を普通に使いこなしていた)
なので、3年生の時に図書館(学校内のではなく、公立の)の存在を知ってからは、校区外であることも構わずホイホイ通い、子どもの本棚など見向きもせずにひたすら乗りものの専門書や旅の本を借りては読み漁る日々が続いていました。図書館の本の分類でいうと、番号で291や536、680の本が中心であったことになります。4年生になると小説にも手を出すことになるのですが、当時のハマりどころは西村京太郎や鮎川哲也、西村寿行あたりからでしたので、この頃から昭和30年代の列車の知識も入ってくるようになりました。
冒頭の写真にある本はそれらのうちの一部の中で、いろいろ縁あって幼少の頃に買ってもらった本や、社会人になってからイベントや古書市などで見つけて手に入れたものになります。
ここ10数年の間にインターネットの普及と出版業界の苦戦が重なって、このような本の現行版を手に入れることが本当に難しくなりましたが、こういったたくさんの著作に触れることができたことが、自分の場合は現在の知見の形成に大きな影響と財産をもたらしてくれたのだと言えます。
前に何度かnoteで本の良さを書いていますが、インターネットのようなものがなかった時代に多感に時期を過ごしたことが関係しているとしたら、どうにかして本の優位性をしっかり捉えて、書籍の有意義なところを広めていければなあと感じた次第でした。
それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。
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