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玉光神社の「考え抜く瞑想」―七星会:AM

玉光神社では、だいたい月に一回「七星会(しちせいかい)」という行事を行っています。
これは、信者・非信者問わずどなたでも参加できる会で、宮司である本山一博が玉光神社の教えや瞑想などを指導し、実際に参加者全員で瞑想する、そんな会です。

本山は瞑想を「自分の心や身体を意図的に明確に意識化すること」と定義しています。

瞑想といっても様々なやり方がありますし、目的によっても変わります。
本山自身も、様々な瞑想法を教えていますが、その一つが「考え抜く瞑想」です。

「考え抜く瞑想」のやり方はこんな感じです。
例えば、今日、あるいは近いうちに自分がやりたいと思っていることを一つ決めます。
そのとき、できるだけ具体的な「やりたいこと」を選びます。
そして、決めたことについて「本当にそれがやりたいのか」を自分に問いかけます。「本当にやりたい」と思ったのであれば、「どうして自分はそれをやりたいと思ったのか」をよく吟味します。
あるいはよく考えて「やりたくない」と思ったのであれば、「どうして自分はそれをやりたくないと思ったのか」をよく吟味します。
それも、できるだけ論理的に、突き詰めて考えるようにします。
思考が堂々巡りになったら、さらに一歩、踏み込んで考えられないかよく考えるようにします。

このとき「意識化」されるのは、思考の内容です。

しかし、本山は「考え抜く瞑想」を突き詰めると、「思考の内容」ではなく、「思考している自分」が「意識化」されはじめるといいます。
少し不思議な話ですが、観ている自分が、いつのまにか観られている自分に変わる、そんなことが起こると本山は言います。
つまり、「思考の内容」を観ている自分を、観ている自分になるということです。

こういった瞑想を本山は七星会で教えています。

瞑想をする目的はいろいろあると思います。
集中力を高めたい、リフレッシュしたいという人もいれば、悟りを開きたいという人もいるかもしれません。
本山の提案する瞑想は、様々なことを意識化することで自分を知り、自分から少し距離をおいて、自分自身をコントロールしやすくすることに有用であると、個人的には予想しています。

実際やってみるとどうか、というと、
まず単純に一つのことを考え続けるのは難しいことがよく分かります。
気づけば思考はあっちこっちへと行ってしまうので、それを一つの考えにキープし続けるのは大変です。
一つの思考のボートに乗って海上を走っているはずなのに、気づけば別のボートに乗っているということもしばしば。
そういったことを通して、自分の中にコントロールできない「意思決定者」がたくさんいるんだということが実感できてきて、まずは自分がコントロールできないということを実感することになりました。

そんな感じで、玉光神社では瞑想を教えたり教えられたりしています。
興味のある方は、ホームページからお気軽にお問い合わせください。
(次回七星会は10月6日です。)