昼休みの散歩①:HS
こんにちは、玉光神社note担当のAMです。
今回はHSさんによる、散歩しながら行っていることついての随筆です。
私が勤めている会社は、関東平野の北端に位置する山の裾野にあります。天気の良い日には、昼食後に山の景色を眺めながら散歩をしています。
散歩コースは2km程ですが、「にほんの里100選」にも選ばれた景観の良い棚田の中を山に向かって歩きます。自分の視野いっぱいに広がる大きな山体と向き合っていると、言葉を超えた存在感が自分を満たします。このあたりは5000年以上前の縄文時代の遺跡が発掘されていて、古代の人々も大いなる自然に畏敬と感謝の念を持っていたのだろうと想像しながら散歩します。古くから山岳信仰の対象として崇められ、関東地方にはこの山を御神体として祀った神社がいくつもあります。
シンプルな自然の風景を味わいながら散歩を重ねていると、自分の心や身体が日頃のストレスから解放されて自然体になり、自分の内面と向き合いながら歩いていることがあります。
玉光神社宮司は、利他を目的とした行為になりきるという超作には、他者を活かす行為とは何であるかを深く考えることと、行為になりきることの実践があると教えています。また行為になりきることの補助訓練として「心身の意識的な脱力」が有効で、歩行時に余計な力を抜いていくとなんとなく心の力も自然に抜けていくと説明しています。そして、力が抜けていく様子を意識的に観察すると、心身の意識化によって、その状態を知り、心身の状態を制御することが、どういうことなのかが分かってくると教えています。〔2022.1.8宮司講話〕
私も、昼休みの散歩の際に試してみました。最初は歩く足の力を抜くよう意識し、ゆったりと散歩しました。普段は周りの景色を眺め、連想することを考えながら歩いていますが、なるべく自分の心や身体の方に意識を向けて歩きました。幸い散歩コースは田舎道ですれ違う人や車があまりないので、自分自身に意識を向けやすい環境です。いつも歩いているコースなので、行程が進むたびに心がリラックスしてきて、自分の心身の状態の変化を感じることができ、同じ景色でも自分の状態によって見え方、聞こえ方が変わってくることが分かりました。いつも同じ景色が鏡となって自分の心身がそこに映されているような印象です。
リラックスした散歩に慣れてくると、ヴィパッサナー瞑想やマインドフルネス瞑想で行われている歩行瞑想で、歩きながら動かしている身体の感覚を観察したこともありました。左右の足を出す順番を意識しながら歩いたり、地面に足をつく時の感触を観察したりして自分と向き合って散歩したりしました。身体への意識の向け方で、心と身体のつながり方が変わることを色々と試してみました。
30分程度の散歩ですが、四季の移り変わりを感じながら時には景色を堪能し、時には自分と向き合うなどリラックスした時間を楽しんでいます。