自然と一体となって生きるのは、もやは失われた幸福なのか[書評]夏の朝の成層圏(池澤夏樹)
(2018.3.13)
わたしがもっとも好きな作家、池澤夏樹氏、39歳のときのデビュー作です。ずいぶんとひさしぶりに読み返して、あらためて紹介したくなりました。30年前の著書ですが、まったく古さはありません。現代社会への深い内省が、みずみずしい自然描写とともに綴られています。むしろ、地方への移住や「ローカル」が若者たちの間でも見直されている今、あらためて読むと、池澤さんはこの流れを予見していたのかもしれない…と思いました。
『夏の朝の成層圏』池澤夏樹著・中公文庫/1990
https://www.amazon.co.jp/dp/4122017122/
物語は、ある男が無人島に漂流した先での暮らしから始まります。ロビンソン・クルーソーのようなサバイバル?…と思いきや、物語は後半、少し不思議な方向へと進んでいくのです。
内容には触れないとして(ぜひ読んでみてください)、この作品にはその後、池澤さんがずっと追い続けることになるテーマが、既に美しく提示されています。実際に描かれているのは、漂流した1人の男の物語なのですが、読みながら彼の飢えを想像し、息づかいを追い、安らぎと喜びを想像していくうちに、おのずと対立する2つの世界が立上がってくるのです。
それは人が生きるうえでの、2つの幸福のとらえ方です。
…自然の混沌の中に溶け込んで、日々生きるためだけに生きるのか。
…人間が作り上げた秩序と安寧さの中で、思考する者として生きるのか。
その2つの対立は、形を変えながら、繰り返し繰り返し、何度も登場します。
自然/文明、
ふるさと/都市、
不揃い/秩序、
家/森の小屋、
語り/文字、
東洋なるもの/西洋なるもの…
それは単に「昔の暮らしが良かった」といった類いの浅い感傷ではありません。むしろそんなセンチメンタルさを排除するかのように、主人公は必要以上にクールに自らを振り返ることを迫られます。「仮に住む者」「資格がない」「つまらぬ罠」…。しかしながら語り手がクールであればあるほど、我々が失いつつあるもの、そして既に失ってしまったものへの喪失感が胸にせまってきます。
池澤さんの自然の表現は、不思議な透明感に満ちていて大好きなのですが、孤島を舞台とするこの作品は、あらゆるところにその表現が溢れています。たどりついた島でヤシの実を何とか削り、その液体がのどに流れ込んでくるさま。貝の肉を食べたときの体にしみわたる喜び。魚との格闘。冒頭の漂流のシーンでさえ、不安や恐怖よりも、自然に体をゆだねる喜びが伝わってくるほどです。
私たちは本当の飢えも乾きも今まで体験したことがないはずなのに、池澤さんの文章を読んでいると、体の奥にある何かが反応するかのように感じます。見たこともないような夕焼けが目の前に広がったり、行ったことがないはるか上空の「成層圏」に到達したような感覚が襲ってきます。池澤さんの卓越した文章の賜物なのでしょう。
自然と一体となって生きるのは、もはや私たちにとって失われた幸福なのかもしれません。しかしこの本を読むと、私たちにもその幸福の片鱗を味わう、わずかな端緒は残されているように思うのです。
池澤さんファンの方も、初めての方も、ぜひ読んでほしい一作。中編小説なので、さらりと読めます。
『夏の朝の成層圏』池澤夏樹著・中公文庫/1990
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