在宅勤務、家族に不可欠な”三つの時間”の壁
在宅勤務によって、一緒にいる時間が長くなったり、どうしても目に入ってしまうことでイライラしたり……
コロナを原因とする環境の変化によってもともとあった問題が顕在化した、とも言えるかもしれないけれど、そういった心理的、精神的な要因だけではなく、
物理的なスペースの問題もあるかもしれません、というお話。
空間のせいだなんて……と思うかもだけど、
我が家はここ数年、24時間365日夫婦ともに在宅勤務していて、
空間は結構大きい要素だぞ、とひしひしと感じている。
(タイムリーに友人から、広い部屋→狭い部屋に引っ越して、今まで夫婦喧嘩なんてしなかったのに大変ですって話を聞いたりもしたし、
我が家も狭い家から、二階建てに引っ越したら、
広いだけでストレスが激減したという実感がある。)
家族だから、パーソナルもなにもあったもんじゃない、
と昔は思ってたけれど、いくら親密だろうが、裸を見られてもかまわない仲だろうが、侵食されないスペースというのは、絶対にあったほうが良い。
では、具体的に家族にとって理想的な空間とはどういうものなんだろう。
家族みんなで穏やかに過ごす難しさはこれまでも度々感じていて、いろいろ本を読んできたけれども
印象に残った文章を紹介したい。
ある家族療法家によれば、家族には、同じ場所にいて一緒に話をする時間、同じ場所にいて誰が何をしているかわかってるけれどもおたがいにかかわり合わない時間、そしてそれぞれが個別に一人でいる時間、の三つの時間のいずれもが不可欠なのだそうです。
『家族を生きる 違いを乗り越えるコミュニケーション』(平木典子・柏木惠子著)
なるほど、どれが欠けてもいけない、というのは体感としてある。
その三つの時間を確保するために、ある程度の空間が必要だったのだ。
家が狭いんだからどうしようもない、という人もいるだろうけど、、
無理だと思ってるときこそ、色んな人に話をしてみると意外な解決策にたどり着いたりすることもあるし、ネットで調べれば自分の目指す空間を確保するためのアイディアもでてくるだろう。
「テントをたてました」とか
「スペースを区切りました」とか
そんな友人たちの工夫する声も聞こえてくる。
ちょっとひと手間かかるけれど、
そのひと手間をかけてでも、
家族のメンバーそれぞれが活きる適度な距離感を
あらためて実験する期間にしてみてはどうだろうか。
きっと、それぞれが考える心地よさは違っているし、
まずは〈同じ場所にいて一緒に話をする時間〉を持ちたいところ。
不自由さから生まれた工夫は、
きっとこの先の財産。