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小学校を休みたいと言ってくれた君に

親としてできることは本当に少ないっていうことを書いたけど、

親として子に願うことはたくさんある。

欲ばればいろいろあるけど、
一番は”どこへ行っても大丈夫な子になってほしい”だ。

どこへ行っても大丈夫って、どんな意味かって言うと
転んでも失敗しても、嫌な思いしても、ここがだめでも、別の道を選べること。
とにかく生きることを諦めないでほしい。

小1にあがって、子どもが学校へ行きたくないと言い出し、長いこと休んだことがあった。

(自分の常識に縛られてた部分にも気がついたし、そのこと自体はとても良かったのだけど)

私はうろたえた。

明確な理由が分からなかったから、
自分たちの育て方がどこか悪かったんじゃないか、とか
対応を誤ったんじゃないか、とか
今の決断で将来ひきこもりになったりしないだろうか、とか。

ここでも親としてできることが足りない気がして勝手に葛藤した。
自分を責めた(今考えれば無駄なことだった)

(その時、最終的に手に入れた判断の基準は『こどもの笑顔』。
将来なんてわかんないから。)

一年生の三学期は、
本人が決めて学校を全部欠席してフリースクールに通った。
そして二年生になった今、また、学校に戻りたいと言っている。

私は、私が納得できる理由が欲しかった。
君ほど心が自由じゃないみたい。

あなたを尊重したい。
それなのに、
(そんなこと言ったってみんな行ってるのに……)とか
(そんなこと言ったって楽しいことだけじゃ生きていけないのに……)とか(そんなこと言ったって……)があふれてきていた

だけど、フリースクールの代表の人が言った言葉で妙に納得した。
「休養が必要なだけ」
「みんな学校に疲れていた」

ああ、そうだったかもしれない。

身体が動かない、足が前にでない。感覚に正直で。
力を抜いて過ごせたらいいけど、君は行ったら100%頑張っちゃうタイプかも。

ちょっと頑張ることで力がついていくのはもちろんあるけれど、
「ちゃんと休む(精神的な面、肉体的に)」も生きていくための大事な力。

自分がやりたいことは全力でやってみたらいいけど

ブラック企業で無自覚にすり減って、とか
将来、そんなんでつぶれてほしくない。

学校だって、みんな行ってるからといって、たくさんの無理をして行く場所ではない。

なんのために学ぶかって人生を豊かにするため。

親が子のペースに合わせて休みに付き合えるなら、
行けるペースで行ったらいいし、

無理なら、他の方法を一緒に考えよう。

私が子どもに願う「どこに行っても大丈夫な子」の
真逆は「選択肢はこれしかない」と思い込むことだ。

「この道がだめだったら別の道に行ってみよう!」って思える経験を、
子がそばにいる今のうちにひとつひとつ重ねていきたい

楽しく生きていくには創造力が必要
柔軟でクリエイティブな選択肢を手にしよう。

あっちでもこっちでもワタシはどこでもダイジョーブ!ってね。




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