6月13日(木) 橋/チリマヨ定食

「楽しいなあ〜」
彼女はちょっと弾んだ足取りで道路の脇を歩きながら二回も言った。二回目は少しこちらを向いて。
私たちは、なんだか可笑しくなって「あっはっは」と笑った。

おひるごはんを食べながらお話しましょう、ということになり最近できたばかりの食堂で待ち合わせようとしたら駐車場が空いていなかったので、橋を渡った先の公園の駐車場に車を停めて歩くことにした。

田舎に越してきてからは、移動が車ばかりで、
日常的に街の中を歩くことがなかった。振り返ると恐ろしくなるくらい歩かないのだけど、最新のメカニック(スマートウォッチ)を手にしてからは、隙をみて歩くようになった。

樹木医である友人のいざないで橋の先にある風景、空と木々で青々とした風景に目をやる。

いつものことだけど、
車の中から見える景色と、歩いたときに見える景色は全然違うということに驚く。

公園と食堂の間には吉野川という川が流れている。高知と徳島を流れる一級河川でそこそこ川幅は広い。
そこにかかる大きな橋は、間をあけて新旧二本かかっていて、古いほうは取り壊される話も出ていたが住民の思い入れも強く今もまだ残っているんだそう。

そんな話を聞きながら橋を渡ると、長くそこを行き交っていた人たちが橋を大事に思う気持ちが少しわかる気がした。

橋は、こっちとあっちをつなぐもの。
橋ができる以前は、川だけがあって、こっちの人とあっちの人はもっと遠くの存在だった。
橋が造られたのは、きっとそこに橋があったら便利だと思う人がたくさん居たんだと思うし、橋はかかるべくしてその場所にかかったんだろう。
そうそう簡単に作られるものでもないし、そうそう簡単に壊されるものでもない。

川岸から橋にまでかかるブナの大木にある、ミニチュアのようなどんぐりの赤ちゃんの存在を教えてくれた彼女は「なんか今日は川がいつもよりきれいだねえ」と言いながら、ヘソくらいの高さの欄干に手をかけて川をみている。

だんだんと近づいてくる対岸の街並み。
橋のある風景。橋から見る風景。

名前すら知らなかった橋を歩きながら
いつか郷愁を感じるくらい、この橋を歩き、橋と私が一体となって身体に染みこんでいくかもしれないという予感をいだく。

〈○○仕出し店〉と書かれた年季の入ったコンクリートの建物。
いつもは目に入らないものが見えるのは、
隣を歩く友人と、橋のせい。

六月の日差しがまぶたにささる。
橋を渡りきったら急にお腹が空きだした。
日替わり定食は
〝鶏チリマヨ〟という食べたことのないメニューだった。

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お読みいただきありがとう。
あなたの身体に残る景色はありますか?




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