Noと言えないにほんじん

イヤイヤ期ってことじゃなくて、、、w

というか最初につけたタイトル読み直すと「私は気弱なのでパワハラ受け入れます」って言ってるように見えるな…と思い、直しました。

正確に書けば、
Noと言えない私はNoと言われることにも傷付いてたけど、段々Noということは普通の感覚だし、むしろ誠実に伝えてくれる人は信頼していいんじゃないかな、と思った←イマココ
みたいな感じか。

何もかも思い通りにならぬのは嫌じゃ!みたいな人は論外。

全て自分の思い通りにならないと怒鳴り散らす、というか、思い通りになって満足だ、と言っているのを1度も見た記憶がない毒父と、その父と共依存で子供たちへの悪影響よりも父の機嫌取りを優先する母に育てられ、あまりハッキリとした反抗期もちゃんとやらず、親との価値観の違いがあっても良いんだー、って気づいたのは、自分が子供を産んで子供が喋るようになってからだった。

そんなこんなで、人にNoと言えない日本人になった。
成人するまでくらいはたまに言ってた気もするけど、モラ夫と同居してた頃にはほとんど言えなくなっていた。

うちの母に「父の暴君に耐えたんだから、意外と世の中チョロいもんでしょ」と洗脳されていたのもあるけど、ところがどっこい(古い)類は友を呼ぶで、さらなる変人ホイホイへと成長した。

うちも相当変な親だが、元義実家も相当なものだった。異質なのは当たり前なんだけどこんなご家庭もあるんですね(白目)みたいな。
年に二回の帰省の度に体調を崩し、熱を出していた。

職場もなんか変な人にたくさん絡まれた。そして気づくとみんなそっと逃げていて、逃げ遅れた私が1人集中砲火の大火傷、みたいなの日常茶飯事。

嫌だと言ったらいけないとか、嫌だと言ったら相手を傷付けてしまうのかも、みたいな思い込みがあったのかもしれない。

だから私は社交辞令が苦手だ。
言われるのも言うのも。

「五分だけいい?」って話しかけてきて1-2時間平気でベラベラくだらんこと話し続ける上司とかね。
新宿のキャッチやればいいのに。

そんなんだから、人から断られたりNoと言われることにもビクビクしてた。
それ知らんがな!ってことで「なんで知らないの!」って職場の御局様にキレられて一日中落ち込んだりとか。
今思えば男の人にそういうのやってるの見たことないし、単なる欲求不満おばさんか!?って思えるけど。
渦中にいるときはただ辛かった。

でも最近は、嫌だなーと思いつつも断れない私自身のことを考えると、むしろ嫌なことは嫌と言ってくれる人の方が誠実で信頼できるな、とか思い始めた。
頻度にもよるけど…

ちゃんと嫌と言ってくれる人はこちらの「ごめん、むり」もきっと聞いてくれるはずだし(逆に聞かない人はほぼジャイアンだ)、
そういう人に少しずつ嫌なことは嫌だ、無理なことは無理だという練習をしていけたらいいのかなと思う。

まぁここは私が少し我慢すれば丸く収まるか…と散々無理してきて、我慢していい事あんまなかったので。

その点、娘は私に対してはほんと遠慮・情け容赦がないし(外では気を使ってるらしいが)
私が腰痛でギックリ間近!と申告しても笑いながら背中に昇ってきて「おんぶ!」とか言うし。

空気読めなさすぎの人と付き合うのも疲れるけど、空気読み過ぎるのも疲れる。
こゆことグダグダ考えてるから「一匹狼」とか言われちゃうんだよねー

基本的に誰かと争おうとか、貶めようとかサラサラ思ってないけど、マウントされると面倒くさいなーとか、くらい。同調圧力かけられるくらいなら一人でいいやーって思う。

小学校の役員決めとかで、「大声で音頭とるより、自宅で書類作る書記やる方がいい」って言ったら「マウントですか?」って言われて「へ?」ってなったし。

あんまり繋がってないけれど、感情について別サイトで記事書きました。
良かったら読んでみてください🙏


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藤凛子 (ふじりんこ)
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