経済悪化
コロナ禍の影響で、失業率がアップしている報道をみた。
今後も一層厳しい環境へ向かっていく。
日本は、低賃労働者不足、高齢化社会、経済悪化、国際競争力低下、国内経済格差の悪化等々言い切れないほどのネガティブな材料が転がっている。
間違いなく、国内回帰を強化しなければ日本経済は悪化の一途を加速していく。
そうなってくれば、リストラ、給与カット、経費カット、自ずとしれた締め付けが強化されていく。国内での「収入」の取り合いになり我こそは「安賃金で俺は働く」と言う者を増えさせる為に、競争環境を作り上げていく。高齢化により若者数が減り、動き回れる体力のある者は減り、知識経験者は無用の長物と化していく。実質労働者減退、求職者数過多、と言う歪みを抱えている。つまり「欲しい人材はいない」でも巷では「求職者は溢れている」
人件費を抑える定石は、若い世代を幹部に登用する事。そうすれば会社の上層部の賃金が低減化できる。あとはその下がった上層部賃金基準に人件費テーブルを作成すれば、自ずと全体の人件費は大幅にカットになり、個別交渉の手間が大幅に省ける。ここに若者登用の別な目的がある。そんな事も気づかずに、踊らされた人種が世代交代だなんだかんだと若者世代を中心としたムーブメントを作り上げ、日本は大きく人件費カットを推し進めて来た。
その見えない人件費カットに賛同し推し進めたのは、誰でもない労働者達である。これから職を失い、給与をカットさせられていく、労働者達こそが、労働賃金低減化を自分たちで推し進めてきたのである。
そしてここに来て経済悪化の門があけられた。
面白い記事を観た。
レンタカーには洗車もワックスがけもするような意識は生まれないが、愛着のある自家用車には誰もが気をつけて配りメンテをする。
終身雇用を是とする考え方。
人間は道具ではないと言う思考。
資金、土地、設備などの物と違い人間には意識が存在する。つまり労働意欲を向上させなければ生産性も上がらないのに、現実は人間の意欲を削ぐような対策をするのが多くの経営者達だと言う。
派遣やアルバイトなどの契約社員を増やし、人件費を抑える形で帳簿を調整し、経営状況を改善する。派遣などと言う不安定な身分で、会社全体を考えたり、客先を重んじたり責任ある職務を全うできるかどうか?ここに人間の労働意欲向上なしには、業績向上はないと言う理論がある。
このような理論は得てして高騰レベルの知識階級が言い続けている。労働者達自らは、これを否定する。先ほどの労働賃金低下、労働者価値の低減化を自ら推し住めたのは、労働者達と同様、労働者の価値を下げてはいけないと叫ぶのは、高騰レベルの知識階級である。なぜなら社会や人間が見えているからだ。
しかし現実は、、、
派遣などの契約社員を増やし、人件費を抑え伸びた会社が沢山あるし「それが経営だ」くらいの勢いで称賛されているのが現実。
労働者が「自分たち」の収入をカットする理論を労働者が称賛する。理解不能な現象が現実では起きている。意識だけが全国民経営者になっており、人件費削減は立派な策だと、賛否する労働者が多い。特に日本はこの手の人種が多い。
「お金」だけに生きていない事実と「お金」と言う現実の間で、自分たちの矛盾に気づかず、他人事のように「人件費カット」を称賛する。
外国人労働者導入もそうだが、求めるのは低賃金で文句も言わず労働する「奴隷」結婚も文句も言わず家庭を守ってくれる「メイド」その「労働力」を物として見るのかどうかが岐点になっている。
まともな高騰レベルの知識階級は「労働力」を物として見ない。だからこそ、労働力価値の低減化は良くないと昔から述べている。
終身雇用を否定し、人件費カットを推し進め、一時的に帳簿の見た目を改善してごまかしてきたが、結果社会構造は歪み、求職者は溢れているが、欲しい人材はいないと企業はボヤき、企業活動が低下し、経済が低下し、完全に負のスパイラルへこの20年突き進んで来た。賢者が経営を担っていれば、この道は辿って来ていない。
Aiは利益を生み出すのか?IoTは利益を生み出すのか?自動化は利益を生み出すのか?土地は利益を生み出すのか?投資は利益を生み出すのか?
本質論でいけば答えは「NO」だ。
それらの物は一切利益を生み出す事はない。
利益を生み出しているのは、人間が創造している「価値」であり、つまり人間が利益を生み出していると言えることになる。人間が介在し、価値を生み出すから、それらの物は活きてくるのである。
どんな高価な物でも、不要な人間社会に持ち込んでも、それは無用の物。自然に綺麗な水が溢れ出ている村に、高価な水を売り込んでも売れもしないが、砂漠で渇水している村に行けば、汚れた水でも高価で売れる。水自身には価値を生み出す能力はない。価値を生み出しているのいは人間である。
この「人間が価値を生み出している」と言う人間社会を見落としている物達が多すぎる。教育レベルの格差と言えるだろう。
不景気だ、経費カットだ、人員カット、労働者である経営幹部は愚かにも正義を持って愚策を振りかざしてくる。まるで自分たちは労働者ではないかの様に、踊らされて舞い上がり「労働者の価値低下」に拍車をかけて、目先の自分の利益確保になだれ込む。
その結果「登りつめた者勝ち」と言う風潮になり、いつまで経っても、労働者の価値上昇は生まれず、景気の波に踊らされ時に増えたり、時に減ったりと何千年と人間は「お金」「経済」に放り回されている。
経済は人間が管理すべきものであるのに、経済に人間が管理されている。お金は人間が管理すべきものであるのに、お金に人間が管理されている愚かな社会から脱しきれない。
ここに資本主義の影が存在する。
経営能力ではなく「お金」を掴んだ者のが経営者になる社会。
ロボット、Ai、を人間は管理できないと言う理論を、現実が見事に証明をしている。多くの人間は自分が生み出したものを管理できない。
経済を動かすのは人間であり、会社を立て直すのは人間であり、すべての物に価値を見出していくのも人間である。人間がいなければ何の価値も生まれない。
そうなれば、経営者が即刻行うべき対策は「労働意欲の改善」である。やる気を起こさせなければいけない事となる。
経費カット、人員カットじゃない。
愚かな経営者は言う「資金がないから無理」「無い袖は触れない」「そんなのは理屈だ」
まさに経営能力もない者達が「欲望」のエネルギーでのし上がって構築されている社会構造。資本主義社会の「影」である。
でも、、、、
それが愚かな人間に似合っている社会構造なのかもしれない。
欲望に身を任せ、周囲を出し抜き、我こそはと寝ずに働いて「お金」を掴んでいく。別な側面から見れば「お前が寝ずに稼げばいいだろう」と言う自由がある。
能力社会へ移行すれば、能力が認めららた事しかできないと言う「影」が生まれる。つまり持って生まれた能力で一生が決まるという事が生じ易い。欲望社会の資本主義なら「寝ずに稼げば誰でもそれなりに金は掴める」と言う自由が「光」を発する。
生き難い世の中、格差が生じる世の中、ずる賢い奴が得する世の中、でもそれが実は「人間」と言う愚かな動物が暮らすには1番適している社会なのかもしれない。
人間が一層の高等教育を受け、多くのマジョリティーが精神的に成長し、高等な価値観を共通認識できるようになれば、能力主義は「光」を発するだろう。
しかし精神レベルがバラバラで未熟な人間が多い社会では、矛盾だらけの社会がお似合いなのかもしれない。ここに人間の幸福は矛盾にありと言える現実がある。
高等レベルの知識階級と他の知識階級では望む社会は違ってくる。
アフリカの奥地で暮らす人種とニューヨーク摩天楼に暮らす人種と北欧の田舎に暮らす人種は、望む社会は大きく違ってくる。
経済格差、教育格差、知識格差、様々な格差が生じているこの現代で、多くの人種が満足する社会構築は無理な話だろう。どんなに正論を述べても、それは絵空事になる。どんに有益な理論を述べても、必要としてない人種に説いても無意味な理論と化す。
毎度の事だが、経済悪化で苦しむのは庶民。
庶民を守ろうとしてすれば、庶民に殺される。
人間社会とは何とも悲しい社会である。
労働者たちは状況が悪化すれば、自分たちで自分の首を絞めていく。それが理解できていない現実が悲しすぎる。
そして厄介なのは、年収が700万から1000万に上がっただけで狂喜する人間と言う動物。この者達が目の前の300万円個人収入増より、会社全体、社員全員、社会全体、世界全体の問題解決に喜びを感じてくれたら、その300万円の使い方は変わっていく。欲望で回転し続けて狂喜するのは、こう言った中間層である。
年収500億ものもの達は、1億増えてもさほどの喜びじゃない。
厄介なのは、300万が500万、500万が700万、700万が1000万、1000万が2000万と言うレベルで狂喜する人種である。これらの人種の意識が変わらない限り、現状の資本主義の欲望の構造は変わらないだろう。欲望に囚われた人間社会。それが資本主義社会だろう。
やれ政策が悪い、やれ誰が悪いと、懸命に救済を求めてくる人種。
この現実の厳しさを容認するなら、多くのもの達が望んでいる社会は、いつまで経っても絵空事の机上の理論にしかすぎない。
のんびり暮らしたいなぁと言いながら、のんびりとした時間にイラつき、優しくありたいなぁなんて言いながら、優しさを弱さと嘲笑う、人生お金じゃないなんて言いながら、お金を求めて群がっていく、賢くなりなさいと我が子供には言いながら、エリートを毛嫌いする労働者達。差別はダメだよと言いながら、あいつはダメだよと他人を非難をする。嘘はダメだよ言いながら、嘘も方便と弁解する。賃金上げろと言いながら、低賃金外国人を求める。
どうしようもないこれらの人間。
それこそが、人間の証明。
この矛盾こそが人間の幸福なのである。