金貨/ペンタクルの5
大まかな意味(正位置の解釈)
雪が降りしきる中、ストールを巻いただけの裸足の病人といかにも状態が悪そうな松葉杖の怪我人が教会のステンドグラスの前を通り過ぎようとしています。彼らはこれから教会の中に招き入れられるのでしょうか?それとも、拒否されるのでしょうか?いずれにせよ、教会は中世の社会において困った人が最後に救いに縋りに行く場所です。ここに拒否をされたら、苦しみの中で待つ他ありません。そもそも教会の衛生状況自体良いとは言えず、この状態になってしまった以上は生き延びることも困難だと言えます。元手もなく、自分を救う手立てもない、誰かに縋りたくても応えてくれるか分からない。雪は冷たく絶望感だけが募っていく。温かい光の中で団欒を享受する人もいるだろうに、なぜ自分は心細く頼りない状態に陥ってしまったのか。そんな底の底を表すカードです。
★大まかな意味:体が資本などその「資本」自体が回復困難なほど傷ついている状態、怪我や病気と貧困などのトリプルパンチ、雪の中怪我や病気を抱えて歩くような絶望的で悲しい気持ち、諦めの一歩手前の気持ち、(健康状態を占った場合)かなり危うい状況
★人間関係/恋愛上の意味:相手が受け入れてくれない、関係で折り合いがつけられない問題の病根が深すぎてどうにもならない、救い難い悲しみや寂しさや絶望感、一緒にいると貧窮していく先細りの関係、(関係が成立していないか遠い場合)今は絶望感や抱えている病が深すぎてそれどころではない
日常における物事との関連:貧困、飢餓、病気、程度の重い怪我、疫病、大損、絶対に理解し合えないと思っている絶縁状態の関係、DVや家庭内暴力から逃げてきた人、生活保護を受給しなければならないほど困窮した人、生きていくのに支障がある心身の状況を抱えている人物、トラウマに慟哭する心から逃げきれず誰かに縋ろうとしている人物、住居のない人
逆位置
逆位置になると、解釈は2通りあり得ます。この状況に一筋の光が差し込んでいて絶望の中でも少しの希望で命を繋いでいる状態か、あるいは地面に積もった雪に2人の放浪者が埋められて助けを乞うも虚しく春の雪解けまで発見されないか。多くの占い師は前者の解釈を採用し、2人が教会に保護されたと読む傾向にありますが、筆者がこのカードを得て希望的な結末に転じたことはありません。故に、後者の解釈を本書では採用します。前者の解釈を採用できるのは、救いの手を示す他のカードを伴って「金貨/ペンタクルの5」が現れた場合だと思っています。
次の「金貨/ペンタクルの6」の関連も見てください。「金貨/ペンタクルの6」には物乞いの人物と寄付を行う慈善家の2人が描かれています。筆者は、この絵の2人が教会に拒否されつつも物乞いとして生き延び、人から施されるということはどういうことか、今まで財を築いてきた自分の経験とはどのように違うのかを考えて、やがては自分も寄付を行う立場になった、と解釈するのが自然だと考えています。そのため、教会という公共の福祉を経て生き延びたとは考えにくいと思っています。何せ、「金貨/ペンタクルの6」の寄付を行う慈善家の身なりは、どう見ても裕福な商人なのですから。(また、教会関係者であれば、施しを行うにあたって「秤」は使わないはずです。神の御意思のもと、利益や損得を勘定せずに喜捨するのが信徒として正しい姿勢でしょう。詳しくは「金貨/ペンタクルの6」をご参照ください。)
★大まかな意味:少しの希望を抱いて絶望の中を進んでいく様子、命からがら繋ぐ様子、一度挫折を経験した方が良い状況、苦しい状況に中々終止符が打たれない
★人間関係/恋愛上の意味:死は免れるものの瀕死の馬に鞭を打ち続けるような不毛さのある関係、相手に受け入れてもらえず苦しいがどこか諦めきれない関係、虫の息の状況で活路を探そうとしている状態、(死ぬほど)嫌な選択肢を前に別の道はないかと必死に探す状態、(関係が遠い場合)本当にそれどころではなさそうなのでそっとしておく必要がある/あるいは責任と誠実さのある助力が確実に必要な状態
日常における物事との関連:貧困、必死さ、頓挫している計画が生き返るまいかとわずかな希望をかけている状態、大損、不毛な関係や飢餓、「正位置」の解釈のより深刻なもの(心理的にはやや希望的であるケースと、さらに深刻になっているケースと2通りあり得ます。)
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