芍薬と猫と一花一葉
たくさんの人の目に触れて、喜んでもらえる花の生かし方は、最高のコスパを発揮する。
花を飾る喜びを知る人は、今日も大切な人へ花を届けていることでしょう。
先日の「文学と一花一葉講座」でのこと。
初めて参加されたシニア世代の男性が、「なんだかわからないなあ」と、つぶやきながらこの芍薬を生けてくださいました。
正に、そのなんだかわからない、混沌の中から新しいものが生まれてきます。泥から這い出し美しい花を咲かせる蓮のように。
ベタベタと手垢のついた、見せかけだけの美などは足元にも及ばない。
「一輪の花にひと手間加えると、新しい世界が開けるんですね!」と、おっしゃる、人生の大先輩に大変励まされました。
誰にでも、幾つになっても、新しい世界への扉は用意されています。
今月のテーマは「夏目漱石著・吾輩は猫である」。
初版本はこんなにも手の込んだ装幀で3冊組でした。
この物語のラスト、主人公の猫が溺れ死ぬ様子が描かれています。
吾輩は、大きな甕(かめ)の中に落ち、もがき続ける。どんなに足掻いても、自分を苦しめるだけで外へは出られない。
そして、このように自分に拷問を与えるような事はやめてしまおうと、自然の力に身を任せ自由になって行く。。
その心情は、「吾輩は死ぬ…南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。」
私にも思い当たります。自由を求めているはずが、自然の力に抗って、ますます自分を苦しめてしまったことが。
自分で自分を殺してはならない。これこそが、当時の夏目漱石の境地だったのでしょう。
「苦」を感じたら、すっと力を抜いてみる。
白だ黒だと騒ぐより、果てしないグレーゾーンの中で漂う勇気を持ちたい。
死を恐れずに。