生と死は対にあらず
今年最後の「文学と一花一葉」講座は宮沢賢治の注文の多い料理店。
花は、賢治のドリームランド「イーハトヴ」風のお正月飾り。
こちらの作品(上画像↑)は、8歳男子作。竜神の様…そんな躍動感あるお飾りです。
ものづくりの過程において、神の手が動く瞬間がある。力みが一切なく、勝手に手が動いている事が。
その喜びを知ってしまうと、容易く悪魔に魂は売り渡せない。
そもそも、createとは神の成した事。小手先で作るmakeとの大きな違い。
それ故に、私は作品を「作る」とは言わず「創る」と表現する様にしています。
宮沢賢治自身が出版した本はたったの2冊だった。彼は詩のことを「心象スケッチ」と言いました。それは神との対話だったのではないだろうか…と、そんな風に空想するのも楽しいもの。
宮沢賢治という人物を知り、彼の紡いだ言葉に触れた時に、生と死は絶対的なものではないと感じられました。
初版本の復刻版も誤字脱字をそのまま復刻していました。「なんでこんな誤字を許したの?」と思うほど。しかし、おかしなもので、彼の文学が確かに生きて今ここにあるとその手触りが感じられた。
自分が思う様に生きてみなければわからない。明日の心配をしたところで、明日にならねばわからない。人の命がいつ尽きるかなんてわからない。
わからないから、そのわからなさを文学に表したのじゃないでしょうか。それが賢治の生きる道だったのだろうと思いを馳せる。
私もたくさんの「わからない」を抱えて生きています。
だから、花を相手にしているのかな。
人間の考える「わからない」が、ぶっ飛んでしまうほど、最強にわからない相手ですからね(笑)。
新年最初の講座は、「樋口一葉・たけくらべ」です。