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時空を超えて繋がるための美学


秋から冬に向かう夕方の空はなんとも心が清々します。
(この日は三日月が浮かんでいました)

一日の出来事の全て、この夜空が回収したような、そんな充足感を与えてくれるから。

更に、広重ならばこの青をどのように描くのだろうか…などと、思考は時空を超えて宇宙を漂う。

私にとって、日常における「美学時間」です。

今こそ”美”について再定義する必要を感じます。
あまりにも使い古され手垢に塗れている言葉を再定義し、アップデイトを繰り返すことで”美”は自分の価値基準となります。

そのために必要な学問が「美学」。
ちょっと堅苦しい感じがしますけれど、これは学校という閉じた環境で
ガリガリと勉強するものではなく、もっと世界を開いて行くための
実践哲学なのです。

フランス語で美学は、
esthétique/ エステティック

日本人の感覚ではエステといえば美容法となりますが、姿形を整えるのではなく、心を整えるものなのです。

例えば、センスの良し悪しも美学があるかないかの問題で、美に対する感性を問うものです。

価格の高いものに値打ちがあるという考え方は経済。
多くの人の評価するものが価値が高いかといえば流行というものは流れ行くもので安定性がない。

世の中の景気は、人の「気」から生じるものと知っている世界のエリート達が美学を学ぶのは、格好付けるためではないんですね。
周りに流されず「気」を捉えるためとも言えるでしょう。

美学というのは、美的感性を磨くというより、開いて行くという感じで
もっと伸び伸びとしたものではないでしょうか。

「美学の扉を開いた当時のパリの住まい/ 今年9月撮影」

私の美学の扉が開いたのは当時26歳。パリでのこと。
先生に「自分の作品を作るために哲学を持て」と言われ、どうやって身に付けるものなのか皆目検討がつかなかった。
パリのエスプリは常に高いハードルを突きつけるのです。

「街路樹の向こうに見えるのは凱旋門」

ある日、学校の帰りに制作物のブーケを持ってアパルトマンに帰る道すがら
「マドモワゼル、とても素敵なブーケね」と、道ゆく人々が笑いかけてきました。
当時はまだフランス語がよくわからなかったけれど、とにかく人々が花を見て私に笑いかけてくれている。

それがとても誇らしくて、自然と明るい笑顔を返すことができた。
「ああ、言葉が通じなくても、私はどこでも生きていけるかも!」という、不思議な自信が湧いてきたのでした。

人を一瞬で笑顔にしてしまう力が花には備わっているのですね。
美とはそうやって世界を開いてくれる。
覚醒の瞬間でした。

「Bleu Gitanes」

そういえば、もう一つ。夕暮れの空の色から連想したのは「ブルー・ジタンヌ」。セルジュ・ゲインズブールも愛したフランスの国民的タバコのパッケージ。

青はフランス国民が好む色で、フランス国旗も青から始まります。

私の恩師もジタンの愛煙家で、彼女はくわえタバコで花を生けていました(まるでココ・シャネルのよう)。その姿は脳裏に焼き付いて消えません。

私に「哲学を持て!」と言いながら何も教えてくれない天才肌の人だった。今でもあの独特の煙を嗅ぐと恩師を近くに感じます。

「このジタンブルーの美しさが私から禁煙を遠ざける」という美学を持った愛煙家でした。


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