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認知症日記(8) 自分の生き方を決められるのは、本人だけなのだ

夫はすべり台のてっぺんに座っている。今にも滑りだしそうだ。そんな夫の背後から、夫の服を掴んで、なんとか滑り落ちないように頑張っている私。
それが、しばらく前の私の心象風景だった。

夫の認知症が進まないように、いろいろと試した。まだ認知症とは診断されず、簡易検査で医師から「グレー、というところでしょう」と言われたときから。
彼は本も漫画も読まないし、自分から音楽を聴くこともない。趣味はテディベア作りだったけれど、何年も前にやめてしまっていた。

写経セットを取り寄せて渡してみた。数枚書いたようだ。手芸の通信教育カタログを見せたが、やりたいものが無いという。なぞるだけのペン習字、ダイソーで買ったスクラッチアート、どれも空振り。
食後など、ふと見ると、座ったまま居眠りをしている。「起きて!」と、声をかける。こんなことでは、認知症が進んでしまう! と、焦った。

認知症と正式に診断されてからは、認知症に関する本を数冊、読んだ。その中でも、『アルツハイマー病 真実と終焉』(デール・ブレデセン・著)に書かれていたリコード法という治療は良さそうな気がした。しかし、多くの検査が必要だし、専門医は少なく、費用は高い。それでも、なんとかクリニックを探した。
(リコード法を完璧に実践するのは難しい。主治医には内緒で、補助的に通った自由診療のクリニックは、「リコード法になるべく近い治療」ということだったが、結局、サプリメントの購入が主な治療となった。効果は不明。ただ、不思議なことに、最初の一年間、夫の認知症検査のスコアは落ちなかった。しかし、本人が「(サプリメントの)カプセルを飲みたくない」と言い出したので、サプリメントをやめた。次の検査でスコアは急落。このとき、不安になってサプリメントの件を主治医に白状(?)したが、主治医は、
「サプリメントは全然、関係ありません」
と言った)

すべり台の上で、夫が滑り落ちないように、私は一生懸命なのに、夫自身は手すりを掴もうとすらしない。そんな苛立ちが募った。目を離すと居眠りする夫。それにイライラする私。
夫に勧めるものも思いつかなくなった。食事には気をつけているつもりだ。なるべくカフェやお店に連れ出してみた。けれど、どうしようもないのだった。

そして近頃、やっと身に染みたのだ。そもそも、人の趣味を見つけることなんてできないのが当然だし、夫の人生の選択権は、夫自身にある。
「他人を変えることはできない。
 出来るのは、自分を変えることだけ」
知っていたハズなのに、相手が身内であると、忘れがちになる。

本来、夫がもっと早く、自分で認知症に備えて、運動したり趣味を開拓したりしておくべきだったのだと思うようになった。彼自身に選択権があったのだ。

もしかして私、精神的に疲れている?
全身の関節が痛む。

それまで、夫は週に2回、半日の運動のデイサービスに通っていた。
一週間に一日、朝から夕方までのデイサービスにも通って欲しいと頼んだ。夫は最初は気が進まなかったようだが、一緒に見学に行ったところ、「思ったよりいい」とのことで、通い始めた。

新たなデイサービスは今までとは違い施設だったので、新しい契約などもあり、いろいろ大変だったが、無事、夫は朝からデイサービスに行った。
久しぶりに、自分の昼食だけ用意して、一人で食べる。玄米ご飯、さんまの蒲焼き缶詰、漬物。

ちょっと、気持ちが楽になった気がする。ある意味、諦めた部分もあるのだと思う。認知症は進んでしまうもので、私には止めることはできないのだと。

今から過ごす日々の、夫の幸せはなんだろう? と思う。

落ち込まず、体調を崩さず、できるだけ機嫌よく過ごすことが、私にできる最低限のことのような気がしている。そして、それがけっこう、難しい。猫の手を借りて、なんとかやっていきたいと思う。



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