「オーラの発表会」綿矢りさ〜自己肯定感に並ぶものなし〜
綺麗な装丁に目を引かれてページをめくったところ、最初の数ページで春から大学一年生になる主人公、海松子の心中の独白に共感。「そうそう!その気持ち、分かる!」と一気に盛り上がりました。ところが、彼女が周囲の人物と交流する描写が始まった途端「あっ......全然違うタイプだ......」とまたもや衝撃が走ります。序盤から激しい感情の起伏を味わうことになりました。
海松子と私の最大の違いは、自己肯定感の有無だと思います。海松子はいわゆる「ズレている」タイプです。独特の思考に基づく確固たる自分の世界を持っていて、クラスの女子と適当に群れたり、合わせたりはしません。去るもの追わず来るもの拒まずなのでしょう。そして、ご両親も同じタイプです。彼女の父親が大学教授という設定が、まさに「さもありなん!」と叫びたくなるような腑の落ちようです。海松子は自己肯定感が高いので、周りとはズレていても、それをマイナスなことだとは全く捉えません。彼女にとっては、同じタイプの安定した家族の存在が、意識の有無に関わらず精神的支柱になっているのだと思います。
対して私は、「ズレている」けれど他人と関わる上でその事実をとっても気にする、自己肯定感が地下に埋もれているタイプです。「こんな私が」「こんなこと言って良いのかな」「今の発言、間違えたかな」などなど、挙げたらキリのない自己卑下と後悔、躊躇いに取り囲まれれば、そもそも人と関わるのことに多大なるエネルギーを消費して疲弊することになります。ずばり「生きづらそうな人」です。その点、海松子は自分の思った通りのことを発言し、ズレていることを気にせず他人と関わることができます。クラス飲み会など、私は「こんな自分が参加しても周りに悪いし、隣になった人に申し訳ない」と真顔で考えた上で行けませんが、海松子は積極的です。もちろん、学食でも一人でお昼ご飯を食べられます。
そんな満ち足りた「強さ」を持った海松子に惹かれる男性も登場し、高校時代からの友人「まね師」も力強い存在感を見せます。大学のクラスメイトとも交流を深めていき、題名の「発表会」につながっていきます。
周囲と関わっていく海松子の姿を見ていく中で、ありのままの自分で他人と相対することができるか、の重要性を感じました。私は「ズレている」自分が他者との関わりの中でどう見られるか、が少し参ってしまうほどストレスで、心を分厚い殻で武装して、常にそれを解くことができませんでした。誰かが話しかけてくれれば死ぬほど嬉しいくせに、自分からは働きかけを行えず、人間関係における進展が皆無なまま月日ばかりが過ぎていきました。一人では生きて行けないという怖さがあるのに、誰かと関わる怖さが上回ってどこにも行けないのです。この文章を書いている今でさえ、こんな暗い文章を書いている自分に軽く引き、これを目にする方がどう思うのか、不安を感じています。
海松子のように、他人へのバリアではなく「自己肯定感」で武装できるようになりたいです。これは、本当にそう思います。まずは、リスクを恐れず思ったことを言えるようになりたいです。(......やっぱり誰かを傷つけない程度に、と言う厳重なブレーキがかかってしまうことが、まだまだ遠い道のりを感じさせます。)誰だって、今が一番新しい日。現在と未来だけを考えて生きていきたいです。