プレゼントの価値
"プレゼント"
をもらったとき、いつも思うことがある。
プレゼントと言っても、言葉だったり、買った物だったり、手紙だったり、手作りの物だったり、時にはお祝い金みたいにお金をもらうこともあるかもしれないが、その全てに共通していることだ。
サプライズで、いつもお世話になっている女医さんのお誕生日祝いをした。
看護師の後輩ちゃんがお店を予約してくれた。
その日の目的はその先生のお祝いだったので、当たり前のようにその先生へのお祝いを考えていた。
そして、サプライズにしてはいろいろハプニングもあったが楽しく終わりの時間を迎えた。
お誕生日会が終わって、帰ろうとした時、いろいろ調整してくれた後輩ちゃんがなにやらごそごそと紙袋を出し始めた。
そして、
「はいっ!」
「はいっ!」
「はいっ!」
と、主役以外の私たち3人にまでプレゼントを用意してくれていたのだ。
その先生と今日行ったお店で、一緒にお祝いするだけの私たち3人分のプレゼントを買ってきてくれていたらしい。
そういえば、前にもなんでもない日にお菓子をくれたことがあるのを思い出した。
中身を見ると、"お菓子の量り売り"とあった。
この時、一瞬にしてこの子が
「〇〇(名前)おねぇさんたちの分も持ってこーっ!」
と考えながらニコニコとお菓子を詰めてくれていた姿が思い描かれた。
その姿が愛おしく、私はとても幸せな気持ちにしてもらったのだ。
こうやって誰かが自分のことを少しでも考えてくれた時間があることが、とても嬉しかった。
こんなに嬉しく、幸せな気持ちになるのだから、私も、誰かにこんな気持ちになってもらいたいなと思うのだ。
そして選んだり、サプライズしたり、言葉で何かを伝えたりするとき、その人がどんな顔をするかなと想像するとそれだけでこっちが幸せな気持ちになる。
もう、良いことしかないじゃない。
物でも、言葉でも、音楽でも、手紙でも、なんだっていい。
大事な人に、大事だと、好きだと知ってもらいたい。喜んでもらいたい。ただそれだけ。
私はその子から改めて、
"プレゼント"の価値を考えさせられた。
そして、そんなふうに、いつも周りの人のことを大切に思い、気遣いができる後輩ちゃんを改めて尊敬した。
そして、私も誰かをこんなふうに喜ばせられたり幸せな気持ちにできるような、人を思う気持ちを大切に出来る人になりたいなと思うのでした。
"プレゼント"
には、贈り主が受け取る人のことを考えていた時間があることのある意味ひとつの表現方法だと思う。
人には承認欲求という欲求がある。
どんなに控えめでもやっぱり、1人でも良い、自分を認めてくれたり、愛してくれる人がいないと思ってしまうのと、いてくれると思えるのでは大きな違いがあるのではないだろうか。
人を愛することの喜びはひとしおだ。
例えば自分が誰かにプレゼントをして嫌な思いをされることがあるかもしれないし、自己満かもしれないけど、それでもやっぱり愛する人、大事な人にはその気持ちを表現したいと思うのだ。
もちろん、その気持ちが迷惑だと思われる人がいてそれが分かっているのであればそれはさすがに弁えるが、、、(笑)
気持ちをちゃんと伝えたり、表現することがいかに大事か、それを感じた出来事もあって。
またそれもnoteに書いていきたいな〜。
思わぬプレゼントに、幸せを噛み締めた1日の終わりだった。