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【感想文】雪国/川端康成
『まいっちんぐ駒子』
客は芸者を時間で買う。
時計のなかった時代、芸者への支払いは「1本の線香が燃え尽きる時間」を単位として勘定した。
ここから転じて、芸者へ支払う料金の事を「線香代」あるいは「線香」という俗称で呼ぶようになったのである。
上方落語の大ネタに『たちぎれ』という演目がある。
若旦那と芸者「小糸」は相愛の中であったが、親族は、色恋にうつつを抜かす若旦那を反省させるべく、蔵に閉じ込めて100日間の謹慎を強制した。それを知らない芸者の小糸は連日にわたって恋文を送り続けたのだが、蔵住まいの若旦那の所までは届くはずもない。80日目を最後に手紙は途切れた。ようやく100日目を迎え、改心して蔵から出た若旦那に番頭は、小糸が最後に送った80日目の手紙を渡した。そこには、【この状をご覧に相成り候上からは、即刻の御越し之無き節には、今生にてはお目にかかれまじく候】と書かれていた。すぐさま小糸の元へと駆けつけたが本人は居ない。置屋の女将によれば、小糸は悲しみに暮れた挙句、病床に伏してしまい、80日目の翌日、若旦那から貰った三味線を痩せ細った身体で弾き、心痛にあえぎながら死んでいったのだという。若旦那は女将に事情を説明、供養の許しを得た。小糸の仏前に線香の火をともす。すると、供えてあった三味線がひとりでに鳴り始めた。若旦那の好きな地唄「雪」であった。小糸の霊が弾いているのだと若旦那は涙を浮かべながら耳を傾けた。『小糸、堪忍してや。その代わりなぁ、俺はもう、生涯女房と名の付くものは持たんで...』『若旦那、よお言うてやってくれはりました。そのひと言がどれだけ小糸には嬉しかったか。これ小糸、今の若旦さんのお言葉聞いたか。どうぞ迷わず成仏しいや』すると、三味線の音がハタと止まった。『ああ小糸、まだ途中やないか、何でしまいまで弾いてくれへんね』『若旦那、小糸はもう三味線弾かれしまへん』『なんでや』『仏壇の線香が、たちぎれでございます』
本書『雪国』においても「線香」という符丁を用いた会話がみられる。
思えば、葉子はまるで「たちぎれ線香」の様な存在である。
そう仮定したとき、『雪国』に新たな解釈が生まれる。
どういうことか、以下に説明する。
■冒頭の葉子の役割:
島村は、列車の中で窓ガラス越しに映る葉子について、
<<風景は夕闇のおぼろげな流れで、その二つが融け合いながらこの世ならぬ象徴の世界を描いていた。殊に娘の顔のただなかに野山のともし火がともった時には、島村はなんともいえぬ美しさに胸が震えたほどだった。>>新潮文庫,P.10
と、感銘を受け、そして夕景色と葉子の顔が二重写しに浮かんでいるその様を、
<<彼女の顔のなかにともし火がともったのだった。この鏡の映像は窓の外のともし火を消す強さはなかった。ともし火も映像を消しはしなかった。そうしてともし火は彼女の顔のなかを流れて通るのだった。>>P.11
と表現している。つまり、この場面で「葉子の顔」に火がともされたことで、次の場面以降、客(島村)の前に芸者(駒子)が現れ、関係が始まるのである。
■終盤の葉子の役割:
物語は、島村の <<いい女だよ。>>P.147 という発言により駒子との関係に亀裂が生じ、次いで繭倉の火事へと移る。
<<二階桟敷から骨組の木が二三本傾いて来て、葉子の顔の上で燃えだした。>> そして、<<水を浴びて黒い焼屑が落ち散らばったなかに>> 葉子はいたという。そして数行後、物語は唐突に終わる。この突然の幕切れは作品の欠陥だろうか。否、適切に打たれた終止符である。なぜというに、「葉子の顔」は燃え尽きて「たちぎれ」の役目を果たしたからであり、(島村と駒子の報われない関係も含めて)物語は終わるべくして終わったのである。なお、<<駒子は自分の犠牲か刑罰を抱いているように見えた>> における「犠牲・刑罰」とは、線香(葉子)をたちぎれ(=犠牲)にしてまで客(島村)との関係を結ぼうとした、芸者(駒子)の業に対する呵責(=刑罰)を表している。
以上、『雪国』を落語『たちぎれ』に見立てて解釈を加えた。
それにしても、川端は感覚的描写・叙情性において評価されることの多い作家だが、前述の通り、奇抜な構成力を備えた策士という一面も合わせ持っているのである。
といったことを考えながら、私の運転する車が国境の長いトンネルを抜けると『車両全面通行止め』という標識に突き当たった。
以上