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NOISE
相手の意向に沿えない自分をとても後ろめたく思い、「罪悪感」を背負って生きてきた。
小さなことには幸せを感じる毎日だが、なるほどこの罪悪感、本当に幸せになることへの抵抗になっているはず。
自分と相手の意見が真逆の場合、自分の信念を貫くと、結果として相手の想いを裏切ってしまう形になる。
私が自分を幸せにする選択をすることで、相手にイヤな思いをさせてしまう。
わかり合えない相手に自分の信念を説明するだけでも容易ではないのに、これに罪悪感がプラスされると、更に心身共に負荷がかかる。
前回の「頑固ではなく、信念」の続きで、今日はこの「罪悪感」について見つめていこうと思う。
人の意向を組みとりたいという平和心とのギャップで生まれた罪悪感。
どうして、そんなに悪いことだと感じるのだろう。
相手を不快にさせたから?
納得させることができないまま、自分の選択をしたから?
しばらく、首と肩、喉の不快感と共に「罪悪感」を感じてみる。
痛い。
肩と首がもげそうなほど、痛い。
まるで何かに押さえつけられているような、重たい金属か何かが離れまいと必死で爪を立てて肩と首にのめり込んでいるかのような痛み。
去年のたまたび青森。山神様を思い出す。
「もう入れません~!」
周囲の人たちの価値観や、人生観、不安や恐れ。。。。
自分が感じていることなのか。
影響されているとしたらそれは、
自分にとって必要なものなのか。
自分の中の小さな不安に共鳴して、
周囲の声は大きく響き出す。
どこかの偉い人が言ったことや、
メディアで見たこと。。。
私の中の小さな不安は次第に大きくなり、
どんなにかき消そうとしても、
大きな闇にのみ込まれそうになる時がある。
そんな時こそ、自分に還る。自分の声に耳を澄ませる。もう、自分以外の存在を自分の中に入れない。自分らしく輝く。
周囲の価値観が、自分の中の不安や恐れと共鳴している。
自分の中にある不安や恐れが、周囲の価値観を受け入れない自分を責めている。
「手放します。入れません。」
自分にもう一度宣言する。
それでも痛みは治まらない。。。
何か見落としていること、聴けていない声があるのだろうか。。。。
またしばらく痛みと共にいると、
窓の外を走る車の音や人の声が気になり始めた。
ウルサイ。
自分に集中できない。
静かにしてくれ。
周囲の音は更に大きさを増していく。
「騒音。ノイズ」
私をコントロールしようとする声、
言うことを聞かないダメな人間だと言い聞かせてくる声、
これは全て私にとって騒音だと感じるほど不快な音だったんだ。
頭が爆発しそうなほど、発狂しそうなほどイヤな音。
頭を抱えて、イ゛ィ〜ッ!!と食いしばりながら、思いっきり、心の底からイヤを叫んだ。
自分と繫がったまま、丹田にいながら、怒りを感じ続ける。
こんなに不快だったんだ、こんなに苦しかったんだ。
「入れません宣言」の前に、イヤな事を素直にイヤだと思いっきり感じることさえ我慢していた自分に、このなかなか消えてくれない痛みのおかげで気づかせてもらった。
こんなにイヤな思いを抑えこんで感じることも許さずにいて、ごめんなさい。
そしてもう一度自分に宣言する。
「私はダメな人間なんかじゃない。」
「もう入れません!」
何度でも。
答えはいつもあなたの内側に。by Holistic Salon Loko
つぶやき内観たま太朗