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光明真言で心の花を開く

四国88カ所お遍路の
本堂で3回、大師堂で3回
計6回 × 88 = 528回も
読み上げた光明真言

ただ意味もよくわからず
読経していたので
その功徳のほどは
はっきりしていない

そこで今回
きっちりと調べ、考えてみた


光明真言とは

真言宗でもっとも大切にされているマントラ
何度も唱(とな)えた人の人生に強い光の波動を持つ「光明」をもたらす最強の真言と言われています

そして光明真言は
ただ聞いているだけでは、効果ありません
自分で声に出して、唱(とな)えてみる ことが大事です

唱えることで効果上がる

光明真言の成り立ち

インドの梵字(サンスクリット語)で書かれたお経を
中国の僧 不空 が漢字に音訳し
それを日本語で音写したものが
現在、日本人が唱(とな)えている光明真言

やすらか庵さまの図がわかりやすいので紹介します

やすらか庵さまの図を参照

僧の不空とは、密教の真言八祖のひとり

3番目の龍猛~空海までが実在

この不空という実在した僧侶が音訳したものが
不空大灌頂光真言
これを今私たちがとなえています

不空大灌頂光真言

真言とは

弘法大師空海は真言について
次のように語られています

真言は不思議なり。
観誦すれば無明を除く、
一字に千理を含み、
即身に法如を証す。

般若心経秘鍵より

上の文章を現代文に訳すと

真言とは

わずか一字の中に千理を含む
つまり一文字の中に
深い意味が隠されているわけです

そして高野山真言宗では、光明真言に前文がついています
ここに光明真言の意味をひもとくカギがありそうです

となえたてまつる光明真言は
大日普門の万徳を二十三字に攝(あつ)めたり
おのれを 空(むな)しゅうして
一心にとなえ奉(たてまつ)れば
みほとけの 光明に照らされて
三妄(まよい)の霧 おのづから霽(は)れ
浄心の玉 明らかにして
真如(しんにょ)の月 まどかならん

光明真言の前文(高野山真言宗)

それでは、ここから
一語一語の意味を考えていきましょう


オン

バラモン教の オーム(聖音) からきています
バラモン教ではヴェーダを読む前後や、祈りの文句の前に唱えられていた

後に仏教にも取り入れられ、密教では真言の冒頭の決まり文句(オン)として使われるようになった

オンは 帰命する という意味があるようです

帰命とは
自分の心身を投げ出して信奉する ということです
全身全霊で帰依する ということです

オン

前文の一部が、オン の気持ちを表しています

おのれを 空(むな)しゅうして
一心にとなえ奉(たてまつ)れば

前文(高野山真言宗)

では、何を信奉するのか?
誰に帰依するのか?

それが 後に出てくる
大日如来 というわけです

【私見】
以下は推測になるのでお許しください

オン とは、
ここからスタートスイッチを入れるよ
という 英語の ON と関連ありかと
インド→英国 につながっていったかも

お遍路でついた鐘の音や
家で読経時にならす、おりんの音など
 は オン と言うので
関連がありそうです


アボキャ

アボキャとは 不空 という意味があるようです

光明真言を音訳した僧の 不空 と
勘違いしそうですが、これとは違います

不空とは
信じれば必ず願いがかなう という意味です

では何を信ずるのか?
それが次に出てくる
大日如来の光明・威力になります

アボキャ


ベイロシャノウ

ベイロシャノウ とは 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ) をさします

毘盧遮那仏は
世界を照らす太陽のような性質があります

密教以外の宗派では 毘盧遮那仏 と呼び
密教では 大日如来 と呼んでいるそうです

大日如来とは、私たち地球人にとっては
あまねく光を与えている太陽神と考えていいでしょう

神とは生命をつかさどる大いなる力・氣であり、仕組みである。
多重次元宇宙(13次元)であり、現次元そのものでもある。
宇宙そのものであり、大銀河・銀河・星々・太陽・月・地球であり
自然神羅万象(山川海水火木土岩雨風雷)である

神人霊媒日記 2017.7.31 
 ベイロシャノウ

太陽は地球の母であり
太陽の光は生命エネルギーそのものです
地球上の木草花を成長させ、
地球人の心を明るくしています
その力は圧倒的に巨大です

比較---太陽と地球の大きさ

この圧倒的な良き光を身体に吸い込むという考え方です

日の本の国 と書いて 日本国 といいます
古神道には 日拝 という鎮魂法もあります
ゆえに太陽を神とみなす考え方は
日本人にとって親しみやすい考え方だと思います


マカボダラ

マカボダラ とは 大いなる印 という意味です

とは
仏像がとる手のポーズ 印相 をさします

印相

けれども大いなる印 つまり 大印 は
ただ手のポーズを作るというのではなく
手に印、口に真言、心に仏を抱き一体となる
この3つが1つになった状態をさす
つまり身口意がそろった三密瑜伽のことを言います

手で印を組み
口で光明真言を唱え
太陽の光を意識することで
大日如来の力が活きてくるのです

マカボダラ

朝一番、東の空にのぼる太陽にむかって、光明真言を唱えると、気持ちがいいです
毎日、最少でも3回、できたら7回
3日続け、1週間続け、1か月続け、3か月続けたら
かなり心が明るくなっている自分に気づくはず


マニ

マニとは 摩尼宝珠 という意味です

宝珠とは
あなたの心の中にある清らかな宝石の玉です

『円覚経』には、清らかな摩尼宝珠には青黄赤白黒などの色が映るので、愚かな者は、摩尼宝珠に五色の色があると思ってしまうと説かれています。それと同じで、心の本体は清らかであるのに、心に雑念が映るので、心に雑念があると思ってしまうのです。本体は変わることなく清らかなのです。

円覚寺さまの話

イメージとしてはこんな形です

マニ

もうひとつ 如意宝珠 という意味もあります
意のままに願いをかなえる珠ということです

人々本来、摩尼珠という結構な珠を一つずつ持っておる。摩尼は翻訳をして、如意という。如意珠である。如意宝珠だ。それさえ手に入れば、あらゆる幸福がそこから生まれ出て来る。そういう結構な珠をみんな一つずつ持っておるのだが、みんな知らんだけである。

円覚寺さまの話

四国遍路でよく見た太子堂の屋根の上にも
橋の欄干にもありました

太子堂の屋根の頂にある宝珠
橋にある宝珠

さて 玉磨(みが)かざれば光なし という言葉があります
いくら優れた素質があっても、努力して自分を磨かなければ、その素質を活かせないという意味です

マニは心の中に確実にあるけれど
何もしなければ、つぼみのままなのです

以下の写真を比べて見てみましょう

マニ
つぼみ状態のマニ

上の写真のマニと、下の蓮の花のつぼみは、形が似ているのがわかりますか?

ここから 次の蓮の花につながっていきます


ハンドマ

ハンドマとは 蓮の花 をさします
しかも開いた状態の蓮の花です
写真を見ると
太陽の光をいっぱい花びらで受け取っているイメージがわきます

ハンドマ---花開いた蓮

多くの如来や菩薩は、開いた蓮の花の上に座していますよね

蓮の花の台にすわる仏様

これは心の中にあるつぼみ状のマニを
修行をして蓮の花のごとく
開花させた存在をあらわしているのです

それではマニを花開かせるためには
どうしたらいいのでしょうか?

それが
ベイロシャノウと
マカボダラ
 なわけです

手で印を結び
口で光明真言を唱え
太陽の光(大日如来)で身体を満たしていると想像する

この三密瑜伽を繰り返すことで
いつのまにか花びらが開き
光を受け止められる蓮の花になっていきます

なぜ大師堂の頂(いただき)にマニがあるのでしょうか?

これは太陽の光を一番近く受けられる場所にマニを置いたことになります

【印を結ぶ】
仏教では、右手を仏さま、左手を自分として
仏さまと自分が一体になるという気持ちで合掌をします
光明真言を唱えるときは、以下3つから好きなのを選べばいいかと思います




ジンバラ

ジンバラとは 光明 をさします

大日如来(太陽)が与えてくれる光は
生命エネルギーでもあり
智慧でもあり
大きな愛(慈悲)ともいえますね

ジンバラ


ハラバリタヤ

ハラバリタヤとは 放ちたまえ という意味です

これは誰に向けて頼むかというと
もちろん大日如来(太陽)ということになります

ハラバリタヤ


ウン

ウンとは 満願 という意味です

つまり、願いがかないました!
と宣言してしまうわけです

ウン

願望実現の専門家は
願いは過去形にしなさいとよく言います

例えば
良い仕事を恵んでください ではなく
良い仕事につけました 
とかなった言葉を言うほうが
願いはかなう という説です

満願は願いがかないました と思ってしまうことです


まとめ

以下、これが光明真言の一語一語の意味となります

私は全身全霊で帰依します(オン)
信じれば必ず願いをかなえる(アボキャ)
大日如来様の光と力を(ベイロシャノウ)
三密瑜伽の行を繰り返すことで(マカボダラ)
心にある宝珠を(マニ)
つぼみから蓮の花のごとく開かせるために(ハンドマ)
どうぞ大日如来様、光明を(ジンバラ)
放ちたまえ!(ハラバリタヤ)
満願(ウン)



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