下に居る花(ショートショート)
人は落ち込むと大地に救いを求める。
最愛の人物から
「ごめん、別れよう」
だなんて言われたなら、もう味方は大地しかいない。
大地に目を向け、全身で抱えきれない感情を口から吐きだすしか逃げ道はない。
そうしなければ何かもっと大切なものが壊れてしまう。
だから人々は落ち込むことがあると下を向き、大地に救いを求める。
そしてこの男、落ち込まない事だけが取り柄の大路が、下を向いている。
よほど酷いことがあったと推察できる。
したくなる。
だが、違う。
大路は、ただただ、吐きそうなのだ。
濃霧の影響で大路を乗せた飛行機は目的地に着陸できずにいた。
霧が晴れるのを待って飛行機は空を何度も旋回している。
車はもちろん、船酔いもした事が無い大路だったが、何度も縦横無尽に揺れる飛行機には完敗だった。
「俺が何をしたって言うんだよ」
いっそのこと、吐き出してしまえば楽になっただろう。
しかし、大路は我慢した。
吐いてしまえば、アイツにさえ負けたことになってしまう気がしたからだ。そう、アイツ。アイツは揺れる機内で大路に意地らしく囁く。
「ええやん」
「もう、ええやん、吐いてもうたら、ええやん」
大路が必死に吐くのを我慢しているのに、アイツは拙い関西弁を使って煽ってくる。
本当に腹が立つ。
アイツの煽りを我慢するのだけでも必死なのに、ソイツまで現れた。
ソイツは新入社員がパワハラ上司に何時間も説教を受けた後のような疲弊しきった表情で大路に近づいてきてこう言った。
「飴をどうぞ。どうぞ飴を受け取ってくださいまし」
受けとらなければソイツは遂に泣いてしまうだろう。
しかし大路は飴を受け取らなかった。
そのたった一粒の飴を口にしただけで、胃袋の中身も、アイツによって蓄積させられた怒りも全て噴出してしまうのが目に見えていたからだ。
飴を拒まれたソイツは予想通り人目を憚らず泣いた。
そして大路に罪悪感を植え付けた。
吐気と怒りと罪悪感を背負った大路は、項垂れた。
「重い。なんて重たいんだ、負の感情って奴はよお」
この時の大路より劣悪な状況にいる人間が、どこにいるのだろうか。
いるのなら教えてほしい。
…ああ、教えてほしいだなんて嘘さ。わかっている、大路と同じ程に絶望している奴がいるんだ。
ここに。
そう、コイツだ。
コイツは、この物語のオチをどこに着陸させれば良いのかを完全に見失ってしまった無能な作者。
そう俺だ。
濃霧でも、大雪でも無いから着陸不可能な言い訳もできない。
コイツは下を向く。
ソイツも大路も下を向く。
その先には金曜日の夜を満喫する人々がいる。
彼らは、1週間貯めに溜めたうっぷんをアルコールと共に吐き出している。
歌声と共に吐き出している。
大地はその全てを受け止めた。
大路はこの騒動の直後、こう述べた。
「あの時ほど大地を踏み締めたいと思ったことはないっすね。そんでもって、飛行機にはしばらく乗りたくないかな」
曖昧な笑みを浮かべて大路は品川の夜に消えていった。
終わり