天からのお吸い物
元々完全なる犬派だった。
飼うなら犬。すごくおっきい犬。と小さい頃から思っていたし、世界犬図鑑をめくっては幸せな気持ちになっていた。犬だけではなく、アレルギーでふさふさした生き物に触れなかったので、とにかく動物と供に生活する事への憧れが炸裂していたが、その中でも犬は、平和と愛の象徴の様な気がしていた。
そんな犬派の私が猫を飼い始めたきっかけは、知人から「拾ったけど飼えない」と連絡を貰ったからだ。
「あなたが飼ってくれないと保健所行きだから!」と半ば脅され、押し付けられるに近い形だった。
でもまあ、薬でアレルギーは抑えられる事は実証済みだったし、偶然にも借りていたマンションはペットが飼えたので、そのまま引き取った。可哀想だしとほとんど情に流されて。
うちに連れて来られた時、車酔いのせいか小さな段ボールの中でゲロまみれになっていたネコ。知人は「病院に連れてったから」と私に3000円要求し、そそくさと帰っていった。ほんと、そそくさって感じだった。
なんだかなぁと思いつつ、ネコと2人きりになってすぐ、ホットタオルでゲロを拭って、体がしめっていたら寒かろうとキッチンペーパーで水分を丁寧に拭き取った。
ほわほわのまだ歯も生え揃っていない子猫は、拭かれる内に私の手の中で、ぐっすり眠ってしまった。
初代猫はその後、一年と半年程で亡くなった。
四本足の生き物を失う事はこんなにも辛いのかと、驚く程、辛かった。恥ずかしい話だが、暫く母と一緒のベッドでないと眠れなかった。
喋るのも笑うのも全てが億劫で、思い返しては一人で泣き、眠り、また泣き。何も出来ず、二週間程一日中ずっとベッドの上にいた。会話さえままならず、そんな状態になった私を見るのは、家族も初めてだった。
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そんな私を見かねたのか、母がある日突然「友達のとこ子猫が一匹貰い手がないんだって!」と部屋に飛び込んできた。
友達が、ノルウェージャンフォレストキャットのブリーダーだと言う。貰い手がないなんて嘘だとすぐに分かった。正直あまり気乗りしなかったし、ちゃんと返事をするのも億劫で「そう」とだけ返して布団にくるまった。
母は「じゃあママ見に行ってこよっと!」と言い、そのままの勢いで出掛けて行った。そして夜には、立派な子猫用ケージとトイレとエサと、片手に収まる位の毛玉を携え、戻ってきた。
母が帰宅した時、私は寝てしまっていて物音で目が覚めた。何をガタガタやってるんだろと寝そべったまま耳をすませていると、母が静かに部屋に入ってきて電気を付け「起きてる?」と小声で聞いた。
モゾモゾ動いて見せると、母がゆっくりこちらに近づいて来た。
そして寝ている私の腹の上にそっと何かを乗せ「じゃ!よろしく!」と言って、パッと部屋を出ていってしまった。ぎょっとして目線を下げると、三毛の毛玉と、目があった。
毛玉はそのまま私の胸まで元気に歩いて来て、布団から私の顔の横にぽてんと転がった。私の手を念入りに嗅いで、ぐんぐん頭を押し付け、髪を弄び、たまに目が合うとピャーと言った。
もう泣けて泣けて、仕方がなかった。
横になったままボロボロ泣きながら、毛玉を撫で続けた。私が鼻をすする音に興味があるらしく、しきりに鼻を前足で触っていて、それを見ていたら可愛くて、おかしくて、思わず笑ってしまった。
久しぶりに、笑えてしまった。
世話をしなきゃと起き上がって部屋を出ると、ドアの目の前に組み立て済みのケージとエサと水とトイレがセットされ置いてあった。
これでまた、しばらく泣いた。
賛否両論あるかも知れないが、あの時母が無理矢理にでも子猫を貰ってきてくれて、そして自分の前で娘は泣けない事を知っていて、翌朝までそうして放って置いてくれた事に、本当に感謝している。
その三毛の毛玉は、今も帰宅すると一番に玄関に走って来て、毎晩私の腕を枕にして寝てくれる。
ありがとうね。
いっぱいいっぱいなでるからね。
ありがとうね。
わたしを救ってくれて。
かわいいかわいい毛玉ちゃん。
元気に長生きしてね。
それから、先に行ってしまったあなた。
いつか行くから。その時また言うと思うけど、あの時マックのポテトをあげなくてごめん。早死にしちゃうと思ったから。でも、あんなに短い命だったら、あげちゃえばよかったね。ハーゲンダッツも舐めさせてあげたら良かった。叱ってばかりだったかな。初めて猫と暮らしたから、迷惑かけた事もたくさんあったね。ごめんね。ゆっくり行くから、待っててね。
みんなでまたまあるくなって、ぬくぬくしよう。
じゃあ、また会う日まで。
今夜も明日も明後日も、私はアレルギーの薬を飲み猫のお腹と頭と肉球に鼻をくっつけて、そして猫たちはお返しに私を舐めて、一つ屋根の下で眠る。