帰り道を知らない道で歩いた
今日、新たな病院の紹介状を受け取った。
今日、夕時は躁鬱の躁へと落ち着いていた。
今日、病院の為だけに駅を乗り継いだ外にいた。
少し気分を晴らしたいと思えるだけの気力はあったのだ。
それでふと思い立って、私は帰り道を弄ってやった。態と病院の裏門から出て、態と逆の角を曲がる。そして歩き始めたのだ。
街が何処かは知っていたし、何となく方向はわかる。だけど、それ以上を求めないことにした。スマートフォンを鞄に仕舞い込んで、見ない。もちろん、イヤフォンもなしだ。地図も音楽もSNSもない。曲がり角や分かれ道を赴くままに、歩いた。
知人や家族にバレないようにと何駅も介して通う病院の周りは、私の住む街よりもはるか田舎だった。だから、人通りはない。山や自然が多い。ズラしたマスクの隙間から、草木と土の青臭さが鼻をかすめる。遠くに廃棄ガスの臭いと、薪を焼くような匂いが混じっていた。肺を満たすべく空気を吸い込み、歩いた。
時折、住人らしき人や背後から迫る車の音に気づいては我に返った我が身が、脂汗をかいた。それでも、過ぎた後に訪れる静寂は都会よりずっと早い。耳が拾うもの殆どは葉の擦れる音だった。 突然、アナウンスの音が街に響いて顔を上げる。17時の「ゆうやけこやけ」だった。 これに脂汗はでなかった。無意識に足は、アナウンスの音へと、向かっていた。音は大きくなり、いよいよ発声源へとたどり着く。スピーカーの括り付けられた木柱。丁度それを軸に、枝分かれした道があった。私は白線の上に乗ると、そいつが続くほう、途絶えないほうへと、歩いた。
知らない道を知らないまま歩いて、行き止まりに踵を返すこともあれば、同じ道をぐるぐると回ることもあった。その間、脳や肺を泥酔に煮込んだような黒ずみは湧かなかった。地面かスマートフォンの画面ばかりに向いて逃げてばかりだった目は、自然と周囲を観察した。わくわくしてそわそわして、ただ単純な楽しいがあった。
そろそろ暗くなってきたから帰ろう。
そう思って最寄り駅を見つけるべく、スマートフォンを取り出した。
暗くなると思ったのは、電子時計を見たからではなく、空を見上げたからだ。そういえば長らく見上げることを忘れた空。
スマートフォンを片手に、改めて空を見上げる。
《青空に白雲と夕空に黒雲のセカイ》
何方も比べようのないくらいに綺麗で美しい。
あぁ、私は今こそ「青空に白雲」だが、明日には「夕空に黒雲」かもしれない。それでも、と思った。
それでも、何方も綺麗で美しいと思えるときが来るのだろうか。
もしそのときが来れば、願う。
私の中の全て、私が受け入れるときがきますように、と。
電車に乗ったとき、既に足はくたくただった。